桑田佳祐の未だ未完成の楽曲とは

リスペクト的存在 桑田佳祐の未完成楽曲が未だにある

日本の音楽界に、ある種、「革命」を起こした人物と言えば、誰だろうか。

筆者は、迷わず、桑田佳祐さんだと言うだろう。(桑田佳祐さん=桑田佳祐)

リスペクトする存在だし、もはや、神的扱いをする若者も少なくない。

1978年のデビュー以来、立ち止まることなく、人前で涙を見せず、貪欲に音楽と向き合い、お茶の間を賑わせ、日本の音楽界に新しい息吹きを吹き込んだ人物は、彼を置いて、他にはいない。

そんな、桑田佳祐の楽曲の中に、唯一、未だ、未完成の楽曲がある。

そもそも、1970年代と言えば、音楽と言えば、「洋楽」が、中心の世の中だった。

あの、小林克也さんでさえ、いや、克也さんだからこそ、ベストヒットUSAの司会をやっていた。

余談だが、小林克也さんは、広島県福山市出身、「ワシらはみんな、広島じゃけぇ」は、本当の話。

そして、英語は、独学で、あそこまで、洗練された。

そんな、逆風吹き荒れる中、デビューした、サザンオールスターズ、その、ボーカリストであり、作詞作曲家であり、リーダーだった桑田佳祐の、日本に残した爪痕は、図り知れなく、もはや、ヤバいレベル。

1970年代は、空前の洋楽ブームで、日本の音楽と言えば、歌謡曲が主流、当初の日本は、アイドル達の独壇場だった。

今は無き、ザ・ベストテンやザ・トップ10など、軒並み、アイドル達が、ひしめき合っていた。

しかし、アイドル達は、アイドルが故、自分で、作詞作曲が出来る訳ではない。

そもそも、役割がちがうのだ。

この、アイドル達の背景には、洋楽の何たるかを熟知した、偉大な、作家達によって、必ず、ヒットする譜面を創り上げ、先の見えるアイドル達へと、割り当てられていった。

日本では、これを歌謡曲とか、ニューミュージックとかと言う表現をしていたが、どれも、音楽レベルは、非常に高いものだった。

しかし、音楽性は、レベルが高くとも、当時のアイドル達のポジションは、決して高くなかった。

売れれば、はい、次、また、次へと使い回され、満身創痍の果て、やがて、疲れ果て、休業、充電・・・、こういう流れが、珍しくなかった。

要するに、アイドル達は、踊らされ、使い捨に等しい位置付けだった。

それでも、日本のニューミュージック界の草分け的存在であったことに間違いはないが。

音楽性の高さは、アイドル達の人気度、話題性、容姿や笑顔の奥底で、影を潜めていたと言う時代。

 

何故、桑田佳祐はファンに飽きられないのか

 

それにしても、サザンオールスターズと言い、桑田佳祐と言い、デビューから40年以上が経過した今、新曲をリリースしても、オリコンチャートに飛び込んで来る、音楽家がいるだろうか。

筆者の記憶では、日本の歴史上、40年以上も、ファンを魅了し、新しい楽曲をリリースすれば、瞬く間に、ヒットしてしまう、そんなヒットメーカーは、桑田佳祐以外にはいない。

既に、桑田佳祐は、その歴史を変えること確定だ。

そして、まだまだ、その、音楽活動は、衰えるどころか、次なる手を企てているに、違いないだろう。

それにしてもである。

サザンのアルバム、桑田佳祐のソロアルバムとも、いつのアルバムも、今、聴いても、まるで、古びないのは、何故だろう。

サザンや桑田佳祐なソロ楽曲の中には、新旧問わず、ジャジーさが、盛り込まれている。

そこら辺に、桑田佳祐たる、ファンを魅了し続ける根幹がありそうだ。

音楽は、自由だ、評価も、基準はない。

それって、言うなれば、音楽に関しては、それぞれ価値観が違うので、絶対そうなんだっていうのは別にないが、筆者も、半世紀生きてきて 、いろんな音楽を聴いてきたが、幼少期、中学1年の頃から、この桑田佳祐の音楽には、いい意味で、取り憑かれていた。

通算、1,000曲を越える楽曲、確かに楽曲が、似ている楽曲はある。

それは、そうである、同じDNAが、1,000曲も曲を書けば、似てくる曲くらいは、当たり前にあることだろう。

しかし、そこよりも、1,000曲以上の楽曲を書いても、未だに、新鮮で新しい聴いたことのない曲があることの方が、スゴいことだ。

新たに、ココロを震撼させる楽曲も、次々と更新し続けている。

さて、音楽は、そもそも、ジャズから始まっていると言われている。

ジャズは、どんな時に書ける演奏する音楽なのかと言うと、ジャズの発祥地と言われる、ニューオリンズでは、人が、亡くなった時に葬儀の際に奏でるメロディーが、ジャズだったと言われている。

日本には、そもそもジャズはなかったので、海外、アメリカ、ニューオリンズが発症の地と言われている。

ジャズは、そもそも、悲しみの音楽なのだ。

そこから、ソウル、デキシー、モダン、ファンクやパンクやROCK、POPにに発展し、1960年代~1980年代にかけての日本では、みんな海外の音楽を参考に、洋楽の模倣をしてきた。

日本人は、いろんな模倣してみたが、やっぱり日本人が英語で歌う歌ってなんか、嘘くささが、やっぱり聞く側には伝わっていて、世界で、日本人がメジャータイトルを取った事ってほとんどない、似合わなかったのだから、トップにはなれない。

そういう、音楽の歴史がある。

だから、敢えて、やっぱり日本人は、日本語で勝負するべきなんだということに立ち返って、日本語でしっかりとオリジナリティを作るのが、カッコいいとなった時に、それを具現化し、日本のカッコいい音楽を、創り出した人物、これこそが、桑田佳祐となってくる。

桑田佳祐の唄い方は、カッコいい。

日本語だけど、カッコいい。

では、何でカッコよく聴こえて、そして、飽きられないのか。

そこら辺を、次で、解説しよう。

桑田佳祐が、飽きられない理由が、だんだんと分かってくる。

桑田佳祐の唄い方がカッコいい理由

1978年8月25日に、サザンオールスターズの、ファーストアルバム、熱い胸騒ぎは、発売された。

今から40年以上も前に発売されたアルバムだ。

そのアルバムの中に、女呼んでブギという楽曲があるが、この楽曲、不埒極まりないと感じる人も、いるかも知れないが、今、振り返って思うと、このように解釈できる。

女呼んで揉んで抱いて~♪、何か気づかないだろうか?

日本人は、かつて、俳句であったり、万葉集であったり、韻を踏むことに快感を覚え、また、それが日本の文化だった。

それを、楽曲にに吹き込んだのは、桑田佳祐が、日本人初だ。

それも、1978年、この時代に、既に、日本人が、英語でロックを歌っても世界に通用しねえということを、悟っていたのだ。

日本人は、日本の文化を試行錯誤しながら、日本人の日本人としてのオリジナリティを、しっかりと、世界に染み込ませ、浸透させた第1人者と言っても、過言ではないだろう。

韻を踏むと、心地いいのは、日本人だからだ。

あと、桑田佳祐の唄い方には、特徴があることは、みなさんご存知の通り、日本語と英語を巧みに使い分けて、よく、意味が分からないんだけど、なんかかっこいいフレーズやメロディーに聞こえてしまうという事を、画一化させミュージシャンでもある。

日本語英語と当初は、言われていたが、今は、それが、普通になっている。

大晦日ライブを始めたのも、桑田佳祐、サザンオールスターズが初めて。

いろんなシーンの第1人者と言っていい。

え、そんなこと言われなくても分かってるって?

しかし、若者諸君は、特に、何気なく気に入った楽曲にも、桑田佳祐の創り上げたエッセンスが盛り込まれていることを知っているだろうか。

今、流行っている、日本のミュージシャン達は、それに、大からず影響を受けている。

そして、今日の日本の音楽があり、日本人は、ALL英語の歌詞を歌っている人は、POPS界では、今は、殆どいない。

日本人は、やはり日本語でというのが、桑田佳祐の最終結論であり、往年のアメリカを筆頭とする、世界的ミュージシャン達の影響も織り交ぜながら、且つ、演歌やジャズの要素も、多分に含ませ、日本人の気持ちいい部分を触るようにして、独特の世界観を表現してみせた。

桑田佳祐の唄い方がカッコいいのは、そういう五感に触れる唄い方を編み出したところにある。

カッコ良く、聴こえるように、唄っているのだから、カッコいいに決まっている。

桑田佳祐のたゆまない音楽への追求

日本には、名だたる偉大な音楽家たちが、多数いる。

桑田佳祐のかけ声で始まった、メリークリスマスショーのことを知っているだろうか。

松任谷由実、泉谷しげる、BOOWY、アン・ルイス、鈴木雅之、山下洋輔、渡辺美里、ARB、シーナ&ロケッツなど、今も、日本の音楽界を創り上げてきた重鎮達が一同に集結して、放送された、クリスマス番組だ。

この他にも、吉田拓郎、山下達郎、坂本龍一など日本の音楽シーンをリードしてきた大御所の音楽家達は、日本の音楽の歴史を変えていった。

しかし、その中でも、やはり、桑田佳祐なのだと思ってしまう。

いろんな考え方がある中で、今も尚、昭和から平成、令和に至るまで、現在進行形で常に、第1線を走り続けているミュージシャンは、桑田佳祐以外にはいない。

ミュージックタイガーこと音楽寅さん

桑田佳祐は、2019年12月27日、男はつらいよ、「帰ってきた寅さん」の中で、音楽を担当する。

冒頭では、亡き、寅さん役でも、登場する。

いよいよ、行き着くところまできたと言う感じだ。

渥美清さんと肩を並べる存在と、山田洋次監督は、ある取材で語られている。

今でも、男はつらいよは、老若男女、多くの方々に愛される映画で、 いつ見ても渥美清さんの演技力は、みんなに勇気や感動や望みを与えてくれた日本一の映画である。

その、渥美清さんを起用した、山田洋次監督が、いよいよ、桑田さんに音楽を担当してもらい出演してほしいと、手紙を書かれたと言うことは、 やっぱり、この人しかいないと言うことなのだろう。

フジテレビでは、ミュージックタイガー、自身を音楽寅さんと称し、数々の多面性を見せた。

ゲリラライブ、お寺ライブ、どれもこも、桑田佳祐が、先頭にいた。

また、邦楽と洋楽のミックス楽曲、実は、これが、桑田佳祐の本骨頂で、この、音楽センスこそ、40年以上のトップランナーとして君臨し続きけてきた、隠し味となっている。

誰よりも、音楽を知っている者でしか、なし得ない事を、桑田佳祐は、やってのけている。

誰よりも、数多くの楽曲を知っているからこそなのだ。

だから、聴く側のファン達は、飽きないのである。

果てしない、とてつもなく、果てしない。

音楽と、どこまでも向き合う、桑田佳祐にしか、出来ない荒業なのだ。

未だに未完成の桑田佳祐の曲がある

さいごに。

未だに未完成の桑田佳祐の曲があると言うのが、この記事のテーマだったが、結局、最後になってしまった。

その、楽曲は、サザンオールスターズのファーストアルバム、熱い胸騒ぎの中に収録されている、「女呼んでブギ」である。

間奏パートでは、桑田佳祐が、何を言っているのかが、全く分からない。

これは、歌詞カードにも、翻訳がない。

未だ、未完成だ・・・と桑田佳祐は、言う。

1978年8月25日発売のアルバムの中の楽曲だ。

やはり、徒者ではない。

 

 

最新情報をチェックしよう!
>
CTR IMG