サザンオールスターズの真骨頂はブルースだ

サザンビートの真骨頂はブルースだ

サザンオールスターズと言えば、1974年のデビュー以来、今も尚、常に、日本の音楽界に新たないぶきを吹き込んでいるバンドだ。

バンドとしても、素晴らしいし、何より桑田佳祐さんと言う存在が、サザンをどうにも止まらないくらい肥大化させていったことは、言うまでもないだろう。

サザンを古くから、知っている人たちは、知っているだろう。

サザンのデビュー当初、彼らはリトルフィートのような、所謂、西海岸辺りのサウンドを目指していたと言う。

リトルフィートと聴いて、イメージできない人は、意外と多いだろうから、少し、触れておこう。

リトルフィートとは、1971年、 アメリカでデビューしたロックバンド。

商業的な大成功はしなかったので、知らない人の方が多いだろうが、音楽性は、ニューオリンズ、ブルース、ジャズなど、多彩なジャンルの音楽を得意としたバンドで、業界的には、一目置かれたバンドだった。

所謂、 ラテン系のサウンドだ。

黒っぽい、縦ノリのサウンドを得意とするバンドだ。

サザンオールスターズのデビュー曲は、勝手にシンドバッド。

これは、 当初、 流行っていた、沢田研二さんの勝手にしやがれと、ピンクレディーの渚のシンドバッドの、2個1のような、いや、2個1そのものの楽曲のタイトルだ。

何と安易な、と感じる人もいるだろう。

確かに、そう、感じても、仕方のないネーミングだから仕方ない。

しかし、中身は、どうか?

かつてないほどの、ラテン系の軽快で、アップテンポなサンバサウンドと、流暢な歌唱力は、瞬く間に、お茶の間に、サザン旋風を引き起こした。

これは、作戦だったのだ。

仮に、型にハマったテクニックやレベルの高さ、カッコ良さだけをひけらかすだけの、バンドだったら、サザンは、日本のお茶の間の話題に溶け込んだだろうか。

恐らく答えは、 NOだ。

日本には、演奏や唄が上手い唄い手は、それこそ、いくらでもいる。

「上手い」だけでは、人気は保証されない。

大切なのは、ギャップやインパクトや迫力だと言う事を、桑田佳祐さんは、嗅覚鋭く、肌で感じていたのだろう。

冗談としか思えないような、ランニングシャツとジョギングパンツ姿のコミックバンドが、目が覚めるようなラテン系の軽快なサウンドを奏でている。

しかも、 真似しろと言われても、 真似できないほど、流暢な歌唱力を、ランニングシャツとジョギングパンツ姿の、桑田佳祐さんが、いとも簡単に唄いあげるのだから、一見、コミック集団のようなバンドが、一気に大衆を飲み込むのも頷ける。

何しろ、リトルフィートを目指しているバンドだから、コアだけど、音楽性とクオリティは、当初から平均値を遥かに越えるレベルであったことは、言うまでもない。

当初、歌謡曲がニューミュージックとして流行っていた日本に、海外の匂いのするサウンドを、日本のお茶の間に、 吹き込んだのは、何を隠そう、サザンオールスターズだ。

サザンや桑田佳祐さんが、リトルフィートのような 多彩な音楽を目指していたことは、サザンのデビューアルバム、「熱い胸騒ぎ」を聴いてもよく分かる。

ラテン系リズムの基本形、レゲエに首ったけや、ボサノバの効いた、別れ話は最後に、ブルース調のいとしのフィートなど、いとしのフィートのフィートとは、正に、リトルフィートの事で、ファーストアルバムでありながら、玄人っぽい、極上のアルバムに仕上がっている。

音楽性、特に、 ジャズやブルース、ソウルなど、桑田佳祐さんは、所謂、色っぽいジャンルが、好きなジャンルだと推測できる。

このように、ファーストアルバムで、サザンは、リトルフィートを参考に、果敢にさまざまジャンルの音楽を披露していった。

ファーストアルバムとは思えないほど、多彩なリズムとサウンドは、聴き応えがあるし、深い。

しかし、大衆を虜にするには、リトルフィートが得意とするジャンルの音楽では、なかなか、日本の大衆を取り込めない事を、桑田佳祐さんは、恐らく、ギャップとして、感じていたのだろう。

勝手にシンドバッドの次には、同じような16ビートの、気分しだいで責めないで、更には、思い過ごしも恋のうちと、3連チャンで、アップテンポの楽曲を立て続けに、リリースしていった。

本当に、同じようなサウンドばかりを立て続けに、リリースしたかったのかどうかは、分からない、多分、 当初は、 やらされていたのだろうが、 大衆の中に、 サザンを根付かせるためには、止むを得なかったのかも知れない。

ただ、アップテンポだったら、売れると言うものでもない。

しかし、サザンのアップテンポの背景には、寸分狂わない豪快且つ、爽快なリズムが、常に熱く刻まれていたから、これが、快感になった事は、紛れのない事実で、松田弘さんの存在なくして、勝手にシンドバッドから、思い過ごしも恋のうちのヒットはなかったはずだ。

松田弘さんのバチさばきには、一瞬の迷いもなく、とにかく爽快だ。

早口で、歌詞カードが無ければ何を喋っているのか分からない、 桑田節は、瞬く間に、ある種の中毒性をもたらし、英語みたいな日本語のような唄い方をする桑田佳祐さんが浸透し始めた。

この、桑田佳祐さんの唄い方には、企みがあったと睨んでいる。

当初、1960年代、音楽は、完全にアメリカ、イギリスが中心だった。

日本語ロックがカッコ悪い時代だったのだ。

当初のサザン、桑田佳祐目線だと、リトルフィート、エリッククラプトン、ボブディラン、ローリングストーンズ、CCR、ビートルズ、ディープパープル、レッドツェッペリン、カルチャークラブ、スティービーワンダー、ポリス、デビットボウイ、ステッペンウルフ、オーリアンズ、ニールヤング、トッドラングレン、ポールサイモン、10CCなどなど、圧倒的だった、海外アーティスト達を意識していたはずだ。

これは、何も桑田佳祐さんだけではなく、日本のミュージシャン達は、海外ミュージシャンを追いかけていた。

そんな中、日本語英国で、真っ向勝負していったのが、桑田佳祐さんだった。

日本語をいかに、カッコ良く、聴かせるか、試行錯誤しながら、英語の単語を組み合わせながら、日本語に聴こえるフレーズを駆使してみたり、とにかく、日本語に拘り、唄い方も含めて、コツコツと、日本語英語の普及活動を行なっていったのが、桑田佳祐さんだと言えよう。

今でこそ、英語だと逆に、「ちょっとねー」、引いてしまうが、カッコいい日本語の流れや唄い方の原型を創っていったのは、若いミュージシャンなどは、当たり前のように、唄っているが、これは、彼らが知らず知らずの内に、聴いてきた桑田佳祐さんなどの楽曲の、創り上げてきた、独特な唄い方が、血肉になっていることは、間違いないだろう。

挙げればキリがない程、桑田佳祐さんと言うミュージシャンの、日本の音楽界への寄与するところは、途方もなく、果てしないものがある。

さて、このチャプターでは、桑田佳祐さん、いや、サザンビートの真髄とは、と言うテーマだが、サザンビートの真骨頂は、ズバリ、「ブルース」てある。

桑田佳祐さんご自身は、自分達は、POPミュージックをやっていると表現しているが、実は、そうではない。

根底には、渋みの効いた泥臭いブルースのリズムが、常に見え隠れしている。

これは、別の記事で記述しているが、同じくサザンのドラマー、松田弘さんと桑田佳祐さんのコラボレーションは、他者が真似できない化学反応を起こし、独特のブルージーなリズムを奏でているのである。

サザンオールスターズは、紛れもなくブルースバンドである。

芸能人格付けチェックの一流芸能人は、本当に一流なのか

毎年恒例になっているテレビ番組、芸能人格付けチェックだが、筆者も、これは、面白いと思っている。

この、芸能人格付けチェック、楽器や演奏の一流を見極めるコーナーが、必ずどこかである。

みなさんも、ご存知だろう。

ご多分に漏れず、GACKTさんやYOSHIKIさんなどは、確かに、パーフェクトに、ズバリ、一流奏者や高級楽器を、的中させる。

これは、これで、素晴らしい。

確かな耳と、恐らく、小さい頃から、本物の楽器に触れ、一流の音楽を聴いてきたのだろう。

しかし、どうだろう、日本のブルースの女王、和田アキ子さんも、この芸能人格付けチェックには、よく出演しているが、あれだけ、パーフェクトに、音符通りに唄が唄える和田アキ子さんが、なぜ、一流楽器や一流演奏家を、図ったように、悉くはずスのか。

歌手として、ブルースを唄わせたら、右に出る者はいない、あの、和田アキ子さんが、なぜ、一流とされている、楽器や演奏家を見極められないのだろう。

それは、人によって、一流の定義が異なるからだ。

残念ながら、芸能人格付けチェックは、世界や日本で、一流とされている教則本が原型でベースとなっていて、一流と定義されている番組だ。

だから、その定義に沿った、 一流を的中させなくては、いけないから、GACKTさんやYOSHIKIさんが、スゴいと言う事になる。

確かに、スゴい。

しかし、だからと言って、和田アキ子さんは、一流ではないのか。

いや、そうではない。

和田アキ子さんも、一流である事には、違いない。

一流の定義が、GACKTさんやYOSHIKIさんとは、異なるのだ。

このように、音楽において、一流の定義は、異なる。

譜面通りに演奏ができるから、一流だと言う人もいれば、譜面の中で、ギリギリのタイミングで演奏するから一流だと言う人もいる。

桑田佳祐さんも、どちらかと言うと、和田アキ子さんと同じ、後者(独特のリズム感)に近い方の超一流だろう。

この2人の天才的なのは、 教則本には、出てこない、ソウルフルな唄を唄えるところが、並外れている点だ。

芸能人格付けチェックのような、一流の見極めは、訓練すれば、恐らく、正解率を上げることができるが、ブルースを唄うことは、練習しても、唄いこなせない、天性のものだから、天才的なのだ。

事実、桑田佳祐さんは、最後のアクトアゲンストエイズの、1人紅白歌合戦の大トリで、和田アキ子さんの、古い日記や、あの鐘を鳴らすのはあなたを、大熱唱している。

和田アキ子さんを、リスペクトしていると言う事だ。

こうなると、ますます、サザンオールスターズは、ブルースバンドだと言う事が、信憑性を帯びてこないだろうか。

よく、唄がうまいと想う芸能人ベスト10とかの記事がネットに上がってるが、ここで、「あれっ、何で?」と感じた事はないだろうか。

あの人が、入っていない。

そう、一流の定義が違うから、あの人は、入っていないのだ。

芸能人格付けチェックのような、バラエティ番組で一流と崇拝並みに扱われる芸能人= 唄が一流だ・・・とは限らない。

むしろ、=とはならないだろう。

それは、それで、テストの回答として、リスペクトするとして、目に見えない音楽で、人を感動させたり、勇気を持たせたりすることは、筆者の見解では、遥かに難易度の高い芸当だと思う 。

だから、私見として、桑田佳祐さんや和田アキ子さんなどの、心震えるような、唄が唄える歌手こそ、一流ミュージシャンとして、リスペクトする。

サザンのどこがブルースなのか

サザンオールスターズは、ブルースバンドである。

そして、恐らく、桑田佳祐さんと言うアーティストは、日本で1番、たくさんの楽曲を耳にしているはずだ。

それは、1人紅白歌合戦もそうだし、アンプラグドサウンドが流行った時代に、アコースティックレボリューションライブで披露した楽曲などには、桑田佳祐さんの生まれる前に流行った楽曲がいくつも、組み込まれていて、あたかも、自分の唄かの如く唄いあげている。

あるインタビューで、桑田佳祐さんは、こうも応えていた。

「私達、ミュージシャンのはしくれでも、やっぱり命を削っていかないと、楽曲なんて創れない」と。

深いフレーズだ。

言い替えれば、命を賭けて、楽曲を創っています。

そう言う事だ。

そう言う、曲創りの細部にまで、拘りながら楽曲を仕上げる桑田佳祐さんだが、桑田佳祐さんの、根底にあるのは、ブルースだと、確信している。

ファーストアルバム、熱い胸騒ぎの、いとしのフィートや、セカンドアルバム、10ナンバーズからっとの、ブルースへようこそ、など、サザンオールスターズのアルバムには、必ずと言っていい程、ブルース調の楽曲が深まれている。

そして、アルバムの中では、それらの、泥臭いサウンドと歌詞が、身に沁みて、コレステロールのように蓄積するのだ。

シングルカットされた、東京シャッフルもそうだ。

当初、ジャズやブルースは、日本においては、決してマジョリティではなかった。

しかし、世の中全体を俯瞰すると、音楽の歴史としては、ブルース、ジャズ、ソウル、フュージョン、POPSと、変遷してきた。

残念なのは、日本では、ブルースやジャズ、ソウルなどは、誰でもできるジャンルではないんだけど、今ひとつ、ウケが悪かった。

しかし、むしろ、マイノリティとされているジャンルの楽曲を、シングルカットするなど、ある意味、無謀とも想える行動を桑田佳祐さんは、選択している。

例えば、東京シャッフルは、やはり、シングルとしては、売れなかった。

分かっていたのだ、売れないことは。

だが、敢えて東京シャッフルをシングルリリースする。

ジャズやブルースを演奏する技術は、POPミュージックよりも、難易度としては、遥かに高い。

しかし、それを、まことしやかに、演奏できるメンバーが、サザンには揃っていたし、そういうサウンドを好んだバンドだ。

難易度の高い楽曲を、こなせるバンドが、POPSを演奏すると、何とも言えない色気が醸し出る。

ブルース調の楽曲は、特に顕著で、これは、リズム隊の屋台骨、松田弘さんの、泥臭い、ソウルフルなリズム感が、何とも言えない、音符では、表せないようなタイミングで、刻まれる。

これが、桑田佳祐さんの、サッチモばりのダミ声が加わる事で、得も言われぬブルージーさが、表現されるのだ。

だから、サザンの真骨頂は、ブルース・・・と言う事になる。

上田正樹さんや近藤房之助さんがスゴいと言っても、松田弘のリズムが加わると、圧倒的に桑田佳祐が、ブルージーでセクシーである。

桑田佳祐の日本の音楽界に残した数々の偉業

筆者は、桑田佳祐さんが、好きだ。

だから、桑田佳祐さんの事は、ひいき目に聴こえるかも知れないが、しかし、それは、事実だから、仕方がない。

1人のミュージシャンが、40年以上、現在進行形で、トップを走り続けるミュージシャンを、筆者は、桑田佳祐さん以外、知らない。

いや、桑田佳祐さんしか、見当たらないと言う方が、正しいだろう。

ただ、これは、桑田佳祐さんの能力や、音楽に対する姿勢も大いに影響しているのは確かだが、時代や社会環境などの、自分では、どうしようもない、「流れ」によるものもあるのだろう。

日本人が、日本語で、唄うことは、今では、取り分けカッコいいし、韻を踏んだり、日本語と英語のちゃんぽんだって、桑田佳祐さんが、後世に受け継ぐ軌跡だ。

それだけではない。

今では、当たり前になった、年越しライブを始めたのも、サザンだ。

紅白に出る出ないの時代に、三波 春夫ばりの衣装で、コミカルに出場したり、最近では、ユーミンとのコラボから、次の歳には、ユーミン単独での出演となったり、安全地帯、そして、これはないだろうと思っていた、 佐野元春さんやcharさんの紅白出場など、桑田佳祐さんの企画に、引きずり込まれるように、奇跡の出演の運びに至ったのも、本当に奇跡だ。

時代遅れのロックンロールバンドなんて、どうやったら、こんなメンバーが集まれるんだと言わんばかりの、生粋のミュージシャンばかりが、事実、集結したのたから、スゴい事だ。

この、時代遅れのロックンロールバンドも、結成までのスピード感が早かった。

世の中が、物凄いスピードで変化する時代に、呼応する、桑田佳祐さんの嗅覚、やはり、ただ者ざる存在と言える。

それでも、また、1年の始まりと共に、新たな、助走に入る桑田佳祐さん、これからも、日本の音楽をプログレッシブに進化させてくれるだろう。

勇気と生きる力を与えてくれるに違いない。

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