今のサザンのポジションは、1974年には、もう、決まっていた

今のサザンのポジションは、実はデビュー当初から分かってた

今、サザンオールスターズって知ってる?

と、聞かれて、「誰それ?」と言う人が、どれくらいいるだろうか。

(幼児6歳までと、80歳以上は除く)

1974年6月25日に、華々しくデビューした、サザンオールスターズ。

もうすぐで、デビュー、50周年を迎える。

今般、いつ、誰がどうなるかが分からない時代だ。

50年間は、変換すると、半世紀と言い換えれるが、想像ができない永い年月だ。

筆者は、昭和43年生まれの、54歳。

4歳から、今までずっと、やって来たことと言えば、息をして、毎日、ご飯を食べて、寝たことくらいだ。

しかし、もうすぐ、サザンオールスターズは、50年間もの永い間、常に、第1線を走り続けることになる。

桑田佳祐さんの決断力は、マッハだ。

これも、日本の至宝、加山雄三さんが、今年一杯で、現役を退くことを表面。

パシフィックパーク茅ヶ崎と言う、リゾート施設を開設し、なかなか、思うように経営が進まず、多額の借金を抱えながらも、また、大病を煩いながらも、ここまで、音楽活動を続けてきた。

追いかけるように、フォークの神様、吉田拓郎さんも、今回リリースした、「あー、面白かった 光一」を最後に、現役を退く。

満を持して、桑田佳祐さんは、「生涯現役」を表明。

SKGs、SDGsをもじり、今後の計画を公表した。

Sustanable Kuwata Keisuke’s Goalsだ。

◆ROCK IN JAPAN FESTIVAL 出演
◆原由子、ソロアルバム全面バックアップ
◆生涯現役音楽人
◆全国ツアー
◆KUWATA CUP開催(ボーリング大会)

何とも桑田佳祐さんらしい。

しかし、振り返ってみると、今のサザンや桑田佳祐さんのポジションは、デビュー当初から、そうなるような、巡り合わせで形成されるべくして、決まっていた。

そう思えてならない。

「今があるのは、過去の結果で、未来の原因になる」と言う、言論がある。

至極、当たり前の事だが、今やっていることは、すぐに結果がでるものではない。

しかし、その積み重ねこそ、未来を創ると言う事だ。

今、すぐ結果が出ないと、とかく諦めたり、辞めたり、それが、人と言うものだが、諦めず、自身を信じ、結果が出なくても、継続する。

時には、暗中模索することもあるが、それでも、「こうなりたい」と、邁進することこそ、将来、夢を現実にできるのだろう。

好きこそ物の上手なれ・・・、昔の人は、何て、適格な描写をしたものだ。

サザンオールスターズは、正にその、モデルケースとして、文句のつけようの無い、実例だ。

しかし、サザンの場合は、常に、第1線の先駆者として、50年間を、貫いてきた。

それは、売れても売れなくても、軸を、ブラさず、継続した、そして、時代の成り行きも、同時に、追いかけ、順応してきた。

それが、サザンオールスターズだ。

桑田佳祐さんの、サザンでの、ライブのエンディングに近づくと、ラスト前の繋ぎで、「人生は、これからを夢見ることさー」と言うフレーズが、音符に乗って奏でられる。

大切なのは、これからで、美しい想い出も大切だけど、とある。

今、夢を見て、今の生活を送れば、夢が叶えられると、言い換えられないだろうか。

これは、桑田佳祐さん、ご自身が、体現されてきた事で、そうすれば、素敵な未来がきっと来ると、ファンのみんなにメッセージとして、伝えているような気がする。

何か、毎日、がんばっている事があっても、もしかすると、夢半ばで、終わってしまう人も、もしかしたら、いるかも知れない。

しかし、何もしなければ、絶対に、夢が叶う事は、ない筈だ。

ありがたいなー。

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サザンはデビュー当初から、6つの1等星だった

今、振り返って、熱い胸騒ぎから、葡萄まで、全てのアルバムを改めて、聴き返している。

ようやく、「あー、そういう事か」と、気付くことがある。

それは、デビュー当初から、サザンオールスターズの楽曲は、レベルの高い楽曲ばかりなのである。

その、中心は、松田弘さんだ。

松田弘さんは、宮崎県出身で、当初、宮崎のディスコで、ドラムを叩いて、稼いでいた。

宮崎と言えば、地鶏と、カープの日南キャンプが有名。

あと、青島の鬼の洗濯岩!?

当初から、プロフェッショナルだったのだ。

そんな、ローカルな宮崎で、ドラムで飯を食う。

スゴい。

太鼓を叩いて、お金が貰える、これは、プロフェッショナルとしか、言いようがない。

それが、サザンオールスターズの、メロディを支えてきた。

紛れもない事実だ。

そして、松田弘さんの、息子、翔さんもドラマーだ。

翔〜鼓動のプレゼント〜と言う楽曲が、チャコの海岸物語のB面に、収録されている。

B面伝わらないかー(悲)

この、松田翔さん、松田弘さんとの親子共演が動画で残っているが、また、これが、弘さんの音色そっくりだ。

そして、その、松田弘さんを、東京に連れてきたのが、大森隆志さんだった。

大森隆志さんのことは、残念だったが、コンテストの申し込み(ヤマハ・イースト・ウエスト)をしたのも、何を隠そう、大森隆志さんだった。

ヤマハ イースト・ウエストでは、特別賞を獲得し、当初のビクターレコードから、声がかかり、プロとしての活動が始まる。

だから、桑田佳祐さんのことだから、多分、大森隆志さんのことは、気になっているだろうし、大森隆志さんが、いなければ、今の、サザンオールスターズは、無かったかも知れない。

松田弘さんとの、出逢いも無かったかも知れないのだ。

毎日、毎日、プロとしての過酷な日々が続く。

そんな多忙が災いして、桑田佳祐さんは、「痔」を発症、撮影と撮影の合間に、たらいにお尻を付けていたとか、いなかったとか。

勝手にシンドバッドの間奏で、桑田佳祐さんが、「ミュージック カモン バック トゥ ミー」と、シャウトする。

翻訳すると、「弘、帰って来てくれ〜」となる。

当初、宮崎から上京してきた、松田弘さん、宮崎のディスコで、ハコバンのドラマーとして、店長に、「必ず、帰ってくるから」と、約束していたらしい。

律儀な松田弘さんは、「店長に、帰ると約束しとるとよね」と、言ったかどうかは、確かでないが、宮崎弁で、帰郷。

しかし、桑田佳祐さんの、勝手にシンドバッドの熱いシャウトに、後ろ髪を引かれ、再び、上京したそうだ。

だから、前置きは、長くなったが、その頃から、桑田佳祐さんは、松田弘さんの、プロフェッショナリズムを、完璧に見抜いていたのだ。

だから、KUWATA BANDの時も、唯一、サザンのメンバーで、一緒だったのは、松田弘さんだけだ。

では、松田弘さんの、何がそんなにスゴいのかを、これから、筆者なりに、語ってみよう。

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松田弘さんのバスドラとハイハットワーク

松田弘さんは、先にも述べたように、サザンオールスターズ結成前から既に、プロのドラマーとして、ドラムでお金を稼いでいた。

では、その、松田弘さんの、どこに、桑田佳祐さんが、惹かれたのか。

それは、筆者の中では、アルバム、「10ナンバーズからっと」と、「ステレオ太陽族」なんかを、じっくり聴くとよく分かる。

当初、サザンのデビュー曲、勝手にシンドバット、気分しだいで責めないで、思い過ごしも恋のうちなどの、アップテンポの3連発、途中、いとしのエリーを挟んだけど、事務所の意向もあったんだろうなー、と思うが、筆者の中では、16ビートのサザンであり、松田弘だった。

16系、ラテン系テンポも、アレンジが、全て異なっていて、やっばり、若い頃から、ドラムで、飯食ってるだけのことはある、と舌を巻いた。

振り返って聴いてみても、寸分の狂いもない。

「あんな、不規則で、モタリそうな譜面でも、狂わない」

アップテンポのリズムであっても、そうでなくても、とにかく松田弘のドラミングは、正確だった。

これは、筆者のもう1人の師匠、村上ポンタ秀一さんも、口幅ったく「ドラムがクソなバンドは、クソだ」、と、言ってらしたが、全くその通りで、やっぱり、サザンオールスターズは、松田弘さんのドラムだから、ビタッと決まるんであって、唄っている、桑田佳祐さんは、とにかく、「弘じゃないと、ダメなんだよ」と、言う事で、「ミュージック カモン バック トゥ ミー」となるわけで。

10ナンバーズからっとや、ステレオ太陽族、聴いてみて、今より、スゴいから。

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セックスで言うとお互いが気持ちいい感じ

サザンオールスターズと言えば、際どい、下(しも)系の楽曲が、結構ある。

しかし、セックスやエッチは、人間の生理だ。

日本が、セックスに閉鎖的なだけであって、当たり前の生理現象なのだ。

子供が、産まれるのは、その、結果なんだから。

で、サザンだけに、桑田佳祐さんと松田弘さんの、具合をセックスで例えると、オトコとオンナ、どっちも、気持ちいい状態。

例えば、69、フィニッシュの時、そんな感じ。

お互い、舐めながら、舐められて気持ちよすぎるという。

そういうのが、松田弘さんのドラミングだ。

言葉では、なかなか、伝わりにくいんだが、音源を、そのまま貼り付けると、著作権に関わるので、どこまで、できるか、少し、時間をいただくが、まあ、セックスで、言うと、そんな感じだ。

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松田弘さんのドラミングは、高揚感が超絶

10ナンバーズからっとの、お願いDJにしても、奥歯を食いしばれにしても、気分しだいで責めないで、あとは、ステレオ太陽族で言えば、Hello My Loveや、My For Play Music、ビックスターの悲劇とかは、如実に、桑田佳祐さんのボーカルを、気持ちよくさせるドラミングになっていると、筆者は、感じる。

松田弘さんの、ドラミングの基本は、まず、べードラが、規則的でない事。

あまり、音符通りは、気にしていない、多分。

でも、それが、ネイチャー コール ミーなんだ。

その、べードラと、ハイハットワークの兼ね合いが、聴いてる方も、実に、キレッキレに聴こえる。

代表的で、分かりやすいのが、HOTELPACIFICだ。

超絶である。

何と言うか、前戯があって、キスして、オッパイ揉んで、挿入して、フィニッシュって言う。

どうしても、例えが、不埒になってしまうが・・・

ドラミングが、段階的に盛り上がるから、聴いてる方も、唄っている桑田佳祐さんも、高揚してしまう。

特に、べードラの入り方の、変化が、次第に、主張し始め、ボーカルのメロディラインに、上手に乗っていく。

それも、ボーカルが、気持ちよくなるように。

そう、ボーカルが、気持ちよく、唄える下支え的に、ドラムのおかずが、付加されていく。

通常、Fill inは、4小節目が、多いが、松田弘さんの場合は、2、3小節目が多い。

中でも、べードラとハイハットで、そこは、抑揚付けされていく。

これが、THE 松田弘だ。

とにかく、ボーカルをいかに気持ちよく唄わせるかに、終始しているのが、松田弘さんのドラミングだ。

そう言えば、松田弘さん、大のジャイアンツファンのはずだが、カープの帽子かぶってたな。

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松田弘さんがカープの帽子をかぶるワケ

これ、多分、カープの宮崎キャンプが影響しているのだと思う。

あくまで、想像だが。

桑田佳祐さんに、負けず劣らず、松田弘さんも、地元愛豊かな人だ。

カープが、宮崎で、キャンプをすれば、経済効果があると言うことでかな。

カープに感謝と言う松田弘さんなりの、おもてなしなのかも知れない。

それは、それで、筆者も、広島出身のカープファンなので、嬉しい限りだ。

松田弘さん、ありがとう。

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今のサザンのポジションは、デビュー当初から分かっていたまとめ

さて、そろそろ、本記事の終焉が近づいてきた。

今のサザンのポジションは、デビュー当初から分かっていた、その、理由とは、当初のメンバーに巡り会えた事だ。

松田弘さんをはじめ、原由子さんのキーボード、ムクちゃんの、ぶっ込みベース、それと、盛り上げ役の、毛ガニさん、今でも、準メンバーなのか?

デビュー当初は、矢沢永吉さんのバンドで、パーカッションを叩いていたらしい。

だから、毛ガニさんは、「オレは、サザンは、準メンバーでいいよ」と言っていたらしい。

50年が経とうとしているが、毛ガニさん、多分、後悔しているだろうな。

と、言う事で、いろんな分野から、サザンのメンバーは、構成された訳だが、これは、やはり、青山学院大学中退の桑田佳祐さん、普通なら大学内でとなるんだろうが、そんな、ちっちゃい領分ではなかった事が、いい方向に転じて、当初から、最強のメンバーで構成されていたのだから、デビュー当初のアルバムも、スゴい出来映えになるのは、当たり前か。

いや、しかし、桑田佳祐さんの、絶え間ない、前進気性こそが、今のサザンオールスターズのポジションを画一したのだろう。

桑田佳祐さんには、愛がある。

桑田佳祐さんは、今でも、サザンの中で、ギターは、サポートメンバーとして、斎藤誠さんを起用している。

これは、サザンが、続く限り、恐らく、斎藤誠さんは、あくまで、サポートメンバーのままだろう。

桑田佳祐さんとは、そういう人だ。

松田弘さんは、ボーカリストとしてもスゴい

松田弘さんは、これまで、4枚のアルバムを発売している。

ボーカリストとしても、超絶、歌が上手いし、声が、カウンター テナー的、高くて透明感があり、 松田弘信者も多い。

桑田佳祐さんと、比較はできないが、松田弘さんなりのオリジナリティがあって、これらのアルバムを、この所、聴き込んでいる。

どれも、素晴らしい出来映えだ。

松田弘らしさが、満載の爽やかであり、ドラマーとしての主張もさりげなくスゴい。

松田弘さんのアルバムも紹介しておこう。

【1983年】エロス

【1997年】FUTARi

【2002年】DRSM

【2008年】GOOD CELEBRATION

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