カタールWCで変わった日本のサッカー
ワールドカップサッカー カタール大会は、日本代表としては、7度目の出場。
日本が、ワールドカップに出場できるようになった歴史を遡れば、早、28年前に遡る。
当初、いち早くワールドカップサッカーに憧れて、世界に挑戦していたのは、今も、現役、キングカズこと、三浦知良だ。
つい、この程、現役最年長ゴールを決めた事でも、日本のサッカーファン達は、湧きに、湧いていた。
そこには、相変わらず、ファンを喜ばせるカズダンスをするキングカズの姿があった。
団塊世代の昭和男の中年達に、大きな勇気を与えてくれた。
しかし、皮肉な事に、 日本が初めてワールドカップサッカーの出場権を得たメンバーの中に、カズの名前は無く、日本が初めてワールドカップで、 ゴールを決めたのは、ゴン中山だった。
かつて、誰よりも早く、 サッカーを愛し、魂のスポーツとして、1人孤独に耐えながら、世界を夢見て、世界へと旅立った優者の肩は、 叩かれなかったのだ。
世界への扉は、世界を知らないことには、始まらないはずなのに、勇気を持って、世界に挑戦していた、カズが、あの時、メンバーに招集されていれば、日本のサッカー界は、 もっと早く、世界の上位にいたのかも知れない。
今、 日本代表は、世界ランク26位だ。
筆者も、ワールドカップだけは、毎回、見ているが、このカタール大会の、日本代表は、遂に、一皮剥けたサッカーを、繰り広げている。
世界と対等な戦術を取った森保ジャパン
カタール大会で日本代表は、格上の過去4回優勝のドイツ、同じく格上のスペイン、そして、コスタリカと闘う。
断然、形勢不利の組み合わせと言っていい。
過去の日本のサッカーのやり方では、勝てない。
しかし、 森保ジャパンの戦術は、 明らかに違っていた。
過去4回優勝経験のある、ドイツを破り、同じく、優勝経験のあるスペインにも、逆転勝利を納め、リーグトップの成績で、予選を突破した。
何が、これまでの、サッカー日本代表と違っていたのか。
守りのサッカーから攻めのサッカーへ
森保ジャパンのサッカーは、これまでのサッカーと明らかに違っていた。
代表選出に、批判の声も聞こえていたが、やはり、サッカーとは、そういうもので、結果が出なければ、やっぱりかと非難され、勝てば賞賛される。
これは、 他のプロスポーツと比べても、顕著だ。
コスタリカに敗れた時は、やはり、ダメかと、 諦めかけていたが、スペイン戦で見せた日本代表の動きは、アグレッシブであり、プログレッシブだった。
過去、24年間の日本のサッカーは、繋ぐサッカー、日本人特有の鉄壁な守り、ペナルティエリア内でのファール待ち、エンド付近で、相手チームにボールを当てての、コーナーキック期待など、選手は変われど、他力本願的サッカーが、日本代表のスタイルだった。
世界のスピードには、守ることから、得る、他力本願チャンスに賭ける、日本特有の「堅い」サッカースタイルで、闘っていたのだ。
それが、森保ジャパンでは、明らかに戦術の中心は、「攻め」ありきの、 縦サッカー、プログレッシブなサッカーに変貌していた。
サイドにボールを振り、一か八かで、ゴール付近にボールを落として、あわよくば的、不確かな戦術は無く、縦パスをワンタッチで通し、一気にゴール前まで、駆け上がるサッカーを見事に実現していた。
この、超攻撃的サッカーこそ、日本代
表には、今までなかったサッカーだった。
しかし、7度目にして、確かな感触を得た日本サッカー代表のメンバー達の目は、輝き、ファン達の歓喜は、鳴り止まなかった。
日本が、久しぶりに、見せた、日本人としてのオリジナリティだ。
世界の中の日本は鳴かず飛ばす
考えてみると、スポーツ界に限らず、政界や他の産業も然り、世界の中の日本は、このところ、鳴かず飛ばずである。
家電メーカーも、当初は、世界のSHARPやPanasonicだったのに、今や、韓国、中国の家電の方が、圧倒的に幅を利かせている。
唯一、SONYが、世界で踏ん張っているくらいで、日本人のアイデンティティは、一体、 どこへ行ってしまったのか。
宇宙産業にしても、 アメリカや中国は、既に、ロケット産業が、並に乗りかけている。
しかし、 日本は、 どうだろう。
日本のロケットに至っては、ロケットの「ロ」の字も見えてこない。
5Gにしたって、世界とは、周回遅れで、先進国と言いながら、周囲の諸外国には、追いてけぼりになっている。
Z世代は、未来に夢を見ないと言われるのは、彼らだけを責める訳にはいかず、それを導く先陣達の、道しるべが、何もないのだから、どうしようもないのだ。
そんな、混沌とした日本の中で、唯一、光明を照らしてくれた、ワールドカップ日本代表の特に若い世代の先進達、彼らの勇気には、改めて、敬意を表したい。
団塊の世代も、リストラだ、不景気だと、 肩を丸めている場合ではない。
闘う姿勢なくして、未来は、ない。
そうだ、勇気を持って、自分の足で、踏み出して行こうじゃないか。
何かをやるのに、遅すぎると言うことは、ないのだから。