桑田佳祐ソロライブ2021年はリアルで全国10拠点、誰よりも早い

東京オリンピック終了後、 真っ先にエンタメ業界復活に走ったのは、桑田佳祐だった。

賛否両論ある中で、開催された、2021年東京五輪オリンピック終了直後、万を持して、動き出したのは、やっぱり、この男、桑田佳祐。

ひと廻りも歳下だけど、呼び捨てで、ごめんなさい。

でも、やっぱり、桑田佳祐が、誰よりも早く音楽活動を公の場で、再開する。

もう、全くと言っていいほど、知名度を上げる必要も稼ぐ必要もない、リスクを背負う必要もない、そのビックスターが、また、歴史を塗り変えようとしている。

桑田佳祐のこの、予想できない、挙動不審な動きには、41年間、自分は、真のファンだから、絶対に、辞めておこうと決めていた、サザンオールスターズファンクラブに加入させた、大きなトリガーになったことは、言うまでもない。

こうして、先頭を切って、再び走り出す、桑田佳祐を、筆者は、絶対に、リアルで見なければいけないと思ったのである。

気持ちには、 気持ちで 応えるべきだ。

年会費、6,500円を、 ここで惜しんでも、 それは、あまりにも、 ちっちゃい。

2021年、8月、東京五輪オリンピックは、過去最大のメダルを獲得して幕を閉じた。

東京オリンピックは、日本の快挙で閉幕し、その熱気冷めやらぬ、僅か2日後に、事態は動いた。

桑田佳祐が、全国ツアーを、ほぼほぼ、リアルライブで、行うと言うから、もう、開いた口が塞がらない。

もしかしたら、桑田佳祐って、やっぱり、自分の定めを、決して避けて通らない、とてつもない阿呆なのかも知れない。

ここで言う、「阿呆」とは、 よく、 世間一般で言われている、馬鹿は、 人を揶揄する言葉だが、 「阿呆」には、 愛情がある、そう、 解釈して欲しい。

同じく、日本のエンタメ界の巨匠、ビートたけしさんが、天才と言えば、 サザンの桑田佳さんと言うのも、合点がいく。

「BIG MOUTH, NO GUTS」全国10箇所のライブツアーが、決定した。

ライブツアーに先駆けて、初のEPアルバムも発売される。

なぜ、フルアルバムではなく、EPアルバムなのか?

桑田佳祐ほどの、天才ならば、楽曲をフルアルバムレベルで製作するのは、出来ないはずがない。

しかし、この、今の日本、いや、世界の状況は、決して、平穏な状況ではない、むしろ、日本は、悪化の一途だ。

そういう背景も鑑み、ここは、EPで、との計らいとしたのだろう。

人は、どんな環境下でも、欲望やストレスが溜まる動物だ。

東京五輪オリンピックでは、 控えめに言っても、メディア上で、陽の目を浴びなかった、桑田佳祐の、SMILE〜晴れ渡る空のように〜、だったが、それでも、桑田佳祐は、次のステージを着々とすすめていたのだ。

「ここじゃない」。

そう言うことが分かるのが、嗅覚も人並みではない、それが、桑田佳祐だ。

今の状況下で、SMILE〜晴れ渡る空のように〜で目立っても意味がない。

むしろ、次に、民意が求めている事に、 応えるには・・・と、桑田佳祐は、虎視眈々とその、タイミングを見計らっていたのだろう。

いや、そうに違いない。

こう言うと、あたかも、クレバーなイメージに聴こえるかも知れないが、そうではない。

本当に、今、 求められるは、ほんの、ひとときでも、楽しい時間を過ごしたい。

もう、みんな疲れきっているのだ。

しかし、活力を培いたいと思っている。

そして、明日へと繋げたい。

そんな、日本中の、みんなの想いを汲み取ったものである。

アルバムも、ライブも、思い立って、すぐにできるものではない。

時々刻々と、過ぎる不毛な日々の中で、今、何が必要なのかを、 真剣に考えていなければ、この、ステージには、このタイミングで到底、到達できないのである。

エンターテイナーとしとの役割を果たそうと、颯爽と全国ライブに奔走する、桑田佳祐は、輝かしいとしか言いようがない。

さて、今回の「BIG MOUTH, NO GUTS」、全国ツアーは、約束の地、宮城県セキスイハイムスーパーアリーナから、始まる。

ご存知の方も多いと思うが、宮城県セキスイハイムスーパーアリーナは、東日本大震災の際、ご遺体安置所として、使われた施設だ。

あまりの、ご遺体の多さに、ここしか、場所が確保出来なかったと言われている。

まだまだ、道半ばではあるが、改めて、被災されたご家族また、お亡くなりになられたみなさまの御冥福をお祈り申し上げます。

そして、桑田佳祐もまた、この数百のご遺体が、安置された宮城県セキスイハイムスーパーアリーナを、約束の地として選び、全国ライブを封切る。

桑田佳祐とは、そういう、人物だ。

「BIG MOUTH, NO GUTS」スケジュール

BIG MOUTH, NO GUTS ライブツアーは、宮城県セキスイハウススーパーアリーナを皮切りに、全国10箇所を、行脚する。

65歳とは、 思えないバイタリティ溢れるパワーで
、コロナをふっとばそうと言うのだ。

BIG MOUTH, NO GUTSのライブツアー、スケジュールは、ご覧の通り。

9月18日(土)15:30開場/17:00開演
9月19日(日)15:30開場/17:00開演
会場:宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ

9月25日(土)16:30開場/18:00開演
9月26日(日)15:30開場/17:00開演
会場:愛媛県武道館

10月1日(金)16:30開場/18:00開演
10月2日(土)15:30開場/17:00開演
会場:朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター

10月7日(木)17:00開場/18:30開演
10月8日(金)17:00開場/ 18:30開演
会場:広島グリーンアリーナ

10月20日(水)17:00開場/18:30開演
10月21日(木)17:00開場/18:30開演
会場:マリンメッセ福岡 A館

10月30日(土)16:00開場/17:30開演
10月31日(日)15:30開場/17:00開演
会場:北海道・真駒内セキスイハイムアイスアリーナ

11月10日(水)17:00開場/18:30開演
11月11日(木)17:00開場/18:30開演
会場:大阪城ホール

11月20日(土)15:30開場/17:00開演
11月21日(日)15:30開場/17:00開演
会場:さいたまスーパーアリーナ

12月4日(土)15:30開場/17:00開演
12月5日(日)15:30開場/17:00開演
会場:愛知・日本ガイシホール

12月30日(木)15:30開場/17:00開演
12月31日(金)20:00開場/21:30開演
会場:横浜アリーナ

サザンが好きな人なら、ご存知だろうが、サザンオールスターズのライブでも、桑田さんのソロライブでも、フィナーレは、いつも、横浜アリーナだ。

これは、また、次の章で、詳しく解説するが、それにしても、全20回、人際、若作りな桑田佳祐さんだが、65歳だ。

1ライブあたり、約3時間、唄い続けることは、並大抵ではない。

人知れず、相当なトレーニング無くしては、こなせないはずだ。

それも、桑田佳祐さんの場合は、昔から、声量が半端なかったなら、ご自身としても、パワフルさの衰えは、耐え難いはずで、変わらぬ声量をキープするための、人並み外れたトレーニングをしているはずだ。

筆者は、サザンオールスターズのライブよりも、どちらかと言うと、桑田佳祐さんのソロライブの方が好きだ。

2017年に発売された、「がらくた」でも、ライブツアーが組まれ、ナマ桑田佳祐さんを堪能した。

その当時も、声量は、まるで衰えておらず、パワフルだった。

今回の、BIG MOUTH, NO GUTSでも、相変わらずの、パワフルなステージを期待している。

何てったって、サザンオールスターズ応援団に入会したんだから、絶対にライブに行く。

なぜ、ライブのフィナーレは、横浜アリーナなのか?

最近では、コロナ禍の夢観客ライブも、横浜アリーナ、そして、サザンがデビューして以来、ライブのフィナーレを飾るのは、必ず、横浜アリーナと決まっている。

これは、桑田佳祐さんのソロライブでも同様。

最近、サザンや桑田佳祐さんに、ハマってしまったと言う方は、ご存知ないかも知れない。

サザンファンなら、大抵は、知っているが、ライブの最終公演が、横浜アリーナなのは、奥さんの原由子さんに関わっている。

もう、お分かりかも知れないが、原由子さんの、実家が、横浜だからである。

原さんの、実家は、横浜の老舗、「天吉」だ。

天ぷら屋さんである。

サザンオールスターズのファーストアルバム、熱い胸騒ぎの中の、「今宵あなたに」の楽曲のフレーズに、「あなた、悲しや天ぷら屋」とある。

これがまさに、原由子さんの、実家のことであり、その、原由子さんへの想いを込めて、ライブの最終公演は、いつも、横浜なのである。

また、デビュー当初の、桑田佳祐さんは、原由子さんを、毎日、実家の横浜まで、送り迎えをしていた。

これは、原由子さんの、セカンドアルバム、MISS YOKOHAMA DULTの中の、「いちょう並木のセレナーデ」で、「渋谷から、横浜までずっと音楽ばかり」と言うフレーズがある。

これが、そうだ。

ご存知の通り、青山学院大学は、渋谷にある。

青学で、部活(音楽活動)を終えて、原由子さんを、毎日、送り迎えをする毎日。

桑田佳祐さんだって、初めから、順風満帆だった訳ではない。

そう言えば、桑田佳祐さん初にして、最後の監督映画、 稲村ジェーンが、 このほど、DVD化され、発売されることになった。

稲村ジェーンは、 当初、 1990年9月に公開された、桑田佳祐、初の監督作で、稲村ガ崎の物語。

みなさん、稲村ジェーンを知っているだろうか?

稲村ジェーンは、桑田佳祐の最初で最後の監督作

稲村ジェーンと聞いて、ピンとくるのは、恐らく、40代〜50代の方が、多いだろう。

筆者も、その年代真っ只中だが、1990年に公開された、 稲村ジェーン。

まず、地元の人は、茅ヶ崎のことは、茅ヶ崎とは言わず、 稲村ガ崎と言う。

ここから、知っておかないと、稲村が、何なのか、と言うことになる。

そう、地元愛の強い、桑田佳祐さんらしい、タイトルだ。

では、ジェーンとは、何だろうか?

これは、 外人の名前か何か、とか。

当たらずとも遠からずだが、現役サーファーでもある、桑田佳祐さん。

ジェーンとは、 当初、本当に発生した台風のこと。

台風には、実は、 発生した全ての台風に、名前が付けられる。

ジェーンも、実際に発生した、台風の 名前だ。

ジェーン台風の日には、 絶好の波が来る。

サーファーたちは、この時を待ちわびていたのだ。

東京オリンピックでは、 台風が来る手前で、サーフィンの試合が、 行われたことは、記憶に新しいところ。

日本では、平生、あまり、見られない波が、当日は、見られた。

その、絶好の波を捉えて、 見事、銀メダルを獲得したのが、五十嵐カノアだ。

サーファーならば、 一度は決めたい、 エアリアルを見事、完璧にキメた五十嵐カノアは、またたく 間に、時の人となった。

2度と同じ波は、 来ないと言うのは、 サーファーの常だ。

その、ビックウェーブ、ジェーンを捕まえると言うストーリーだ。

当初、 稲村ジェーンの評価は、 賛否両論あったのは事実だ。

桑田佳祐さん自身も、初の監督映画だ。

映画界から見た、 稲村ジェーンは、 賛否両論あったが、 決して高い評価ではなかった。

しかし、これは、 映画界から見た視点である。

映画は、 何が凄いと、名作なのか?

興行収入?

確かに、1つのバロメーターにはなる。

しかし、桑田佳祐さんは、それを求めていた訳ではなかったのだと思う。

映画の製作には、 音楽活動を続けながら、2年もの歳月をかけて製作されている。

音楽では、桑田佳祐さんは、いろんなミュージシャンを受け入れ、サポートメンバーと共に、音楽活動を行なっている。

そういう、サポートメンバーたちは、当然ながら、超一流のサポートメンバーばかりだ。

それらのサポートメンバーたちが、口を揃えて、「こんなに丁寧に音楽を作る人を今まで、見たことがない」と言う。

桑田佳祐さんとは、そういう人なのだ。

これは、映画の製作でも同じで、 10年経っても古びない、ここが、稲村ジェーンの最大の見所だ。

音楽と映像の調和が、音楽人、桑田佳祐でなければできない、それが、稲村ジェーンだ。

誰かの売れてる楽曲を使って映画をつくる三流映画監督とは、全く、異なるものに仕上がっている。

桑田佳祐、 作詞作曲の楽曲が、ふんだんに、贅沢に使われている。

音楽の何たるかが、分かっていない、映画評論家に、稲村ジェーンの良さが分かるはずがない。

ストーリー性が優れているだけが良い映画ではない。

筆者は、作家の村上龍さんが、好きだ。

当時、村上龍さんは、Ryus BARと言う、テレビ番組をレギュラーで持っていた。

ゲストに桑田佳祐さんが出演し、その中で、村上龍さんは、「ズルいですよね、あんなに自身の楽曲使うなんて、他の映画監督にはできない」と評価した。

これは、桑田佳祐さんが、目指した映画を、ズバリ、評論した瞬間だった。

見る人が見れば、製作者の意図するものは、ちゃんと伝わっている。

桑田佳祐さんも、初監督で、名監督とされている映画監督と、 対等に戦おうなんて無謀なことは、 最初から、 考えてもいないことは、みなさんにもお分かりだと思う。

これからも桑田佳祐から目が離せない

恐らく、 これからも、桑田佳祐さんは、走り続ける。

命ある限り、その命を燃やして、私たちに、感動や元気や、 力を、与えてくれるだろう。

いつかのテレビのインタビューで、桑田佳祐さんは、語っていた。

「楽曲を創っていくことは、自分の命を削って行う作業」だと。

そんな気概で、 創られた楽曲が、人の胸に響かない訳がない。

だからこそ、何時までも、飽きられることなく、愛され続けている。

だから、 桑田佳祐さんは、そのマインドで、前へと進む限り、ファンである私たちも、追いかけ続けるだろう。

桑田佳祐さんのライブの、エンディング近くの、ワンコーラスに入る、ある、フレーズがある。

「美しい想い出も 大切だけど、人生は、 これからを夢見ることさ」と言うフレーズだ。

この、ワンフレーズに、桑田佳祐さんの桑田佳祐たる所以が、 ギュっと凝縮されていると筆者は、 いつも想う。

いつかの、筆者の記事でも、 書いたので、 良かったら、 探して読んでみて欲しい。

とかく、 懐古主義的なのが、日本人の傾向だ。

しかし、 桑田佳祐さんは、 過去じゃなく、 未来だと言っている。

懐古主義的な人生は、 いつか、頭打ちに陥ることを桑田佳祐さんは、悟っているように想えて仕方なない。

人が、 もっと活き活きと、 生きていくには、 これからを夢見ることだと言っている。

過去の、 栄光に縋っていても、事態は、前進しない。

過去の、たまたま 当たった、 1曲に縋り付いているミュージシャンは、 何を想い、 過去の栄冠を口ずさんでいるのだろう。

人が、もっと快適に、前向きに、夢を持って生きていくためには、 未来を夢見ること。

それが、 生きる力になる・・・そういうことを言いたいのだろうと、筆者は、 解釈している。

なるほど、 道理で、 いつまで経っても、 桑田佳祐には、 飽きが来ない訳だ。

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