「心、燃やせ」で検索すると、炭治郎が表示される
筆者のサイトで、音楽はなぜ、人の心に響くんだろう?
という記事を書いた際に、それは、アーティストが「命を燃やして楽曲制作しているから」という結論に至ったことがある。
その流れから、Google検索で、何気に、「心 燃やせ」で検索すると、鬼滅の刃の炭治郎のyoutubeや画像が表示される。
筆者は、たまたま、会社の同僚から、「今、鬼滅の刃、アツいよ!」と言われが、まあジブリならこの年でも見ることはあっても、あまり、筆者が聞いたことがない、「鬼滅の刃」と聞いてもあまりピンとこなかった。
50を越えて、アニメもないだろうと、カッコつけていたら、どうも、鬼滅の刃は、少年ジャンプに連載されていて、発行部数は6,000万部を越える大人気なのだとか。
それでも、外野でガヤガヤと鬼滅の刃のことが耳に入ってくる。
Amazonプライム会員の筆者は、映画好きもあって、映画を検索していると、ここでも、鬼滅の刃が、チラチラと顔を出している。
それでも、しばらくは、スルーしていたのだが、ある、週末、コロナ禍の最中、ステイホームで、何もやることがなかった日曜日のこと。
Amazonプライム会員で、「無料で見れるなら、見るだけ見てみるか」と、鬼滅の刃のエピソード1を流し始めた。
いきなり、仕事のために町に出掛けていた炭治郎の家族が、炭治郎のいない間に、家族が何者かに殺されるという刺激的なシーンから始まった。
なかなか、気を引かれるシーンではあった。
日曜日の朝、8時頃から、見始めたのだが。
炭治郎の性格が、読者や視聴者を引き付ける
時代は、どうも大正時代のようである。
最近のアニメだが、「和」テイスト。
和テイストだか、カッコいい、和テイストだ。
炭治郎の家族は、どうやら鬼に、殺られたらしい。
たった1人、妹の禰豆子(ねずこ)だけは、まだ、息があり、医者に診療させるため、山を降りる途中で、炭治郎の運命が、変わっていく。
和テイストだが、確かに、惹き付けられる。
アニメを一区切りにするつもりはないが、ちょっと、最近にはない、テイストで、心の中に、ズケズケと入ってきた。
ただ、まだ、何が惹き付けているのか分からない。
日曜日の朝8時に、鬼滅の刃を見始めたが、気が付くと、夜の8時を越えていて、エピソード20まで、ノンストップで見続けていた。
12時間、ノンストップ。
筆者は、これまで、テレビやラジオ、音楽にここまで、没入した経験がない。
とにかく、その先を知りたいという衝動に刈られ、見続けた。
でも、鬼滅の刃の、何に惹かれるのか、エピソード20まで見ても分からない。
しばらく、ボーッとしていた。
炭治郎の揺るぎない願望と曇りのないココロ
炭次郎の揺るぎない願望は、妹である禰豆子が鬼になってしまい、元の人間に戻してやることだ 。
たったその1つに執着する。
その方法を知るために、鬼を倒していくというストーリー的には、シンプルではあるが、人間と鬼との戦いの物語である。
どこにでもある家族だった炭次郎だが、炭治郎の運命は一変した。
家族が、鬼にやられてしまってたが、ほんのわずかに息のある禰豆子をとにかく助け、鬼になった禰豆子を人間に戻してやらなければいけないという衝動に駆られ、だひたすらそれに向かって 進んでいくのである。
普通の人間だった炭治郎は、嗅覚だけは人一倍の能力を持っており、「いつも悪い事が起こる時は血の匂いがする」というフレーズも頭にこびりついた。
炭治郎の性格は、温厚であり家族に優しく、献身的で、まさに、人の見本になるような性格である。
自分を犠牲にしてでも、家族を守るというその点において、エピソード1からエピソード26まで見た筆者だが、一貫して炭治郎の心の軸はブレない。
自分のためではなく家族のためなのである。
炭治郎の前しか向かない姿勢と献身さが魅力
物事には、ポジティブとネガティブそれぞれ考え方があるが、この、鬼滅の刃の場合、主人公である炭治郎は、とにかくポジティブであり、献身的である。
一点の曇りもなく、自分のためにではなく、第一優先は、家族のためにという姿勢が、多くの人の心に響いているのだろう。
今のところ、Amazonプライムでは、エピソード26まで見ることができるが、どうも、少年ジャンプの連載の方が、ストーリーが遅れているらしく、ネタバレものらしい。
すべてのエピソードで、炭治郎の献身的な姿勢は、ブレず変わらない。
何かに似ているなとふと思ったことがある。
家族の絆に違いない。
家族は、無償の愛情を家族に対して注ぐ。
全くの無償だ。
何かの対価を求めるわけではなく、とにかく絶え間なく家族に無償の愛情を注ぐ。
それが、本来あるべき姿の家族であり、 特に若い人が、この鬼滅の刃に惹かれてしまうのは、愛情に飢えているのだと思う。
デジタルなやり取りが増える現代社会で、 今、日本でも多くの災害が年中そこかしこで発生している。
そこに、ボランティア活動として 若い人たちが、手伝いに出向く光景をテレビではよく見かける。
本当に、頭が下がる思いだ。
そういう強い繋がりや、自分が役に立っているということを自覚することに生き甲斐を感じているのかも知れない。
人のためになることは、いう事だ。
お金や物欲に囚われず、人との繋がりが希薄な時代だからこそ、鬼滅の刃は、見る人の心に響いているのだと思う。
それは、若者だけでなく、筆者のような、シニアの世代にも、強く惹きつけられるものがあった。
ここで、鬼滅の刃の動画を掲載するつもりはないが、皆さんに伝えたかったのは、その、心に響いた時の思いをいつまでも忘れずに、大切なものを守っていこうということである。
筆者自身にも当てはまることだ。
繋がること、人のためになることが、今の日本の文化の中で、希薄になっているということなんだろう。
だから、その隙間を埋めるために、鬼滅の刃の炭治郎のように強く優しくありたいし、そういう感情に浸りたい。
そして、鬼滅の刃を見ると、今、自分が悩んでいることも解決できそうな気持ちになる。
音楽と同じだ。
時には、勇気を与えてくれ、励ましてくれ、優しい気持ちになれる。
献身的な炭治郎の姿勢が心に響いてたまらないのである。
本来、人であることの幸せは何なのか?
家族との絆や、知人友人との絆、みんなの絆なんだろうと思う。
デジタル社会が高速化し、5Gサービスがまもなく本格化するが、こういうアナログな部分で、人は繋がっていないと心身ともに健康でいられないのだろう。
そういうことを、鬼滅の刃は、メッセージとして、私たちにししたたちに伝えてくれているのだろう。