今のところ、日本で2番目にカッコいいのは五十嵐カノアだ
五十嵐カノアと言えば、日本を代表するサーファーだが、サーフィンを見ない人は、意外と知らない人も多いだろう。
筆者は、五十嵐カノアに、少し前から、注目していた。
いつも、 五十嵐カノアを見ていると、若干、23歳なんだけど、並々ならぬ、オーラが、テレビの画面からでも漂っていたからだ。
BSの番組などでは、時々、サーフィンの試合をやっていることがある。
そこで、五十嵐カノアを知った。
目新しいところでは、 賛否両論ある中で開催された、2021東京五輪オリンピックで、 サーフィンが、正式種目となったことで、 五十嵐カノアは、優勝候補、ブラジル出身の、 ガブリエルを、競技終了間際に、 神技とも言える、エアリアルを、完璧に決め、決勝へ進出。
決勝では、 フェへイラと戦い、 破れたものの、見事、銀メダルを獲得した。
一躍、時の人となった、五十嵐カノア。
ちびっ子にも、大人気の五十嵐カノアだ。
しかし、五十嵐カノアは、別に、有名になりたかったから、サーフィンをしていたのではないはずだ。
ただ、 サーフィンが好きだから、サーフィンを始めた。
来る日も、来る日も、 ただ、いい波を待ち、波に乗る。
ただ、 好きなことを、貪欲に楽しみながら、好きなことを極めていく。
その結果、たまたま、2021東京五輪オリンピックで、 エアリアルを決めることができた。
本当に、サーフィンが好きな者にしか、できない。
五十嵐カノアの、サーフィンの本拠地は、アメリカ本土だから、知らないと言う人が多いのも無理はないが、この、2021年東京五輪オリンピックで、日本中に、その名を轟かせた。
五十嵐カノアは、1997年生まれの23歳。
日本人の両親の間に、 生まれたが、 その生活の多くは、カリフォルニアで過ごしている。
今のところ、日本で 2番目にカッコいいのは、五十嵐カノアと言うことになる。
五十嵐カノアの両親は生粋の日本人
五十嵐カノアは、1997年、アメリカ、カリフォルニア州で生まれた。
だが、生粋の日本人だ。
日本人のご両親のもと、 3歳から、サーフィンを始め、現在に至る。
当然ながら、日本語、英語は喋れるが、環境が一般の人と、少し特殊な環境だから、それ以外にも、ポルトガル語など、5ヶ国の言語が喋れると言われている。
これは、特殊な環境で育つ人にとっては、珍しいことではないかも 知れない。
しかし、アメリカを本拠地としながらも、日本語も流暢に喋れるということからも、日本に対する愛情の深さが伺える。
ご両親のDNAをしっかりと引き継いで、五十嵐カノアは、誕生した。
カノアとは、ハワイ語で、「自由」を表す。
カノアと言う名前を付けることから見ても、ご両親も相当、右脳の発達した、ご両親だったのだろう。
父親の勉さんは、五十嵐カノアと一緒に、 サーフアパレルブランド、インスピで、 カノアと協業して、アパレルブランドを立ち上げている。
ここまで、五十嵐カノアが、サーフィンで、有名になってしまうと、親子で協業する、インスピは、永遠に忘れられることのない、ブランドになるだろう。
それにしても、父親と一緒に事業を立ち上げ、その立ち上げたブランド商品を愛用し、オリンピックで、銀メダルを取る・・・これ以上ない、羨ましすぎる親子関係だ。
また、五十嵐カノアの、お母さん、美佐子さんも、若いころは、サーファーとして、活躍してたそうだ。
プロサーファーになれなかった、お母さんは、息子にその夢を託しているところもあるだろう。
今は、 カノアの、サーフィン活動のサポートをしているそうで、こちらも、理想的な親子関係。
「夢」を追いかけることが、滑稽だという人もいるが、五十嵐カノアのように、実直に夢を追いかければ、それは、夢でなくなると言う、典型なのかも知れない。
五十嵐カノアは木下グループに所属
五十嵐カノアは、 プロサーファーでありながら、木下グループに所属している。
木下グループは、 ハウスメーカーで、五十嵐カノアは、 この木下グループの所属となっている。
何で、 ハウスメーカー?
と思う人も、いるだろう。
実は、サーフボードは、もともと、木で作られていた時代があった。
こう、考えると、五十嵐カノアと木下グループの関係にも違和感はない。
あの、 加山雄三さんは、 その、むかし、藤沢の海で、家の雨戸で、サーフィンをやっていたと言う都市伝説があるくらいだ。
当初の、 雨戸と言えば、 木製で、それをサーフボードに見立て、 湘南の海で、颯爽と波に乗っていたと言う有名な話。
やはり、海のオトコは、やることが、垢抜けている。
今では、グラスファイバーで、作られることが、主流となっているが、木製のサーフボードは、実に、味わいがあっていい。
ただ、カノアが、木下グループに所属しているからと言って、木下グループで、 毎日、 働いているわけではない。
カノアの職業は、何を置いても、サーフィンだ。
何よりも好きなサーフィンを、 こよなく愛し、これからも、世界のトップサーファーで、あり続けて欲しい。
五十嵐カノアのスポンサーが半端ない
地道に好きなサーフィンに向き合い、来る日も来る日も、波に乗る。
五十嵐カノアは、貪欲にサーフィンを続けていった。
3歳から始めた、 サーフィンは、もう、 20年になる。
重ねていったサーフィンの技術は、言うまでもなく、世界に通用するレベルの超一流。
しかし、プロフェッショナルであっても、波を選ぶことは、できない。
何年、何十年やっていても、同じ波は、来ないとも言われてる。
そういう意味では、2021年東京五輪オリンピックの正式種目にサーフィンが選ばれ、五十嵐カノアが日本代表として選ばれ、銀メダルを獲ることは、かなりの確率で奇跡的だ。
サーファーなら、必ず練習する、エアリアルは、自分の技として持っていても、それに、叶う波が来ない限り、成立しない。
20年間、来る日も、来る日も、練習してきたことの積み重ねの結果、奇跡的に、エアリアルに乗れる波を、五十嵐カノアは、捕らえた。
これは、幸運だが、 しかし、それもまた、これまで、20年間、培ってきたことを、波の神様が、カノアに与えてくれたご褒美だろう。
そういう、五十嵐カノアには、サーフィンメーカーを中心とした、スポンサーが集まってくる。
それは、五十嵐カノアの人柄やキャラや、人格が、そうしているのだろう。
ひたすら、地味に、好きなサーフィンを、楽しむ。
こんな、素敵な、生活は、なかなかない。
そんな、素敵な生活をしている五十嵐カノアだからこそ、スポンサーが集まるのだ。
筆者は、 五十嵐カノアに、オーラを感じると言ったが、正に、 カノアのポジティブなオーラが、多くのスポンサーを惹きつけているだけの話だ。
五十嵐カノアの、代表的なスポンサーは、下記の通り。
サーフィンブランドが、当然ながら、多い。
• Quiksilver
• Red Bull
• Oakley
• Audi
• Sharp Eye
• Visaカード
• Dior
• 木下グループ
• 資生堂
• Ocean & Earth
• Sharpeye Surfboards
• G-Shock
• Beats by Dre
恐らく、今回の2021年東京五輪オリンピックで、更に、スポンサーは、増える一方だろう。
五十嵐カノアの愛車はアウディe-tron プロトタイプ
五十嵐カノアの愛車が、気になる。
スポンサーの中に、Audiがあったから、もしかしても思ったら、やはり、一番のお気に入りは、アウディのようだ。
日本では、まだ、発売されていない、アウディ、e-tron プロトタイプのブルーだ。
海の男らしい、鮮やかなアウディは、 五十嵐カノアによく似合っている。
そして、これからは、SUVが主流になるであろう、トレンドも、しっかり抑えている。
やはり、一流は、一流の物を選ぶのか。
この他、テスラやBMWなど、複数の愛車を所有しているようだ。
アウディは、世界の車の中でも、トップクラスの人気のメーカーだ。
何よりも、 デザインに、先進性があることで、定評のあるアウディ、シングルフレームが、眩しく存在感を主張している。
ボードを乗せるためには、アウディでも、どうしても、Qクラスになる。
毎日、ボードを乗せて、海へと走るのだろう。
今時の、 若い人は、 車離れと言われているが、五十嵐カノアは、どうも、違うようだ。
アウディ、BMW 、テスラと、今時の車を乗り回している。
しかし、五十嵐カノアが、車を複数台持っていると聞いても、全く、嫌味がないから、不思議だ。
やっぱり、人柄なのだろう。
五十嵐カノアはカッコいいのにハートは壮大
五十嵐カノアは、人知れず、幼いころから、サーフィンを始め、現在に至る。
筆者が、初めて、五十嵐カノアを知ったのは、ほんの1年前だ。
テレビで、サーフィンの試合をやっているのを、たまたま、見たのが初めてだった。
瞬間に、この若者の壮大さを感じた。
テレビからでも、十分に感じる明らかなオーラ。
それは、どこから来るのかと、 いろいろと彼の試合ぶりを見ていた。
サーフィンは、過酷で、孤独なスポーツだ。
始めるのも、簡単なスポーツではないし、継続していくのも、揺るぎない覚悟がなくては、出来ないスポーツだ。
しかし、波に乗った時の、五十嵐カノアは、とてつもなくカッコいい。
とてつもなくカッコいいと思う背景には、サーフィンと言うスポーツは、一瞬で波に飲まれてしまう危険を伴うスポーツだし、命を怖がっていては、到底、できないスポーツだからだ。
それに、何の気負いもなく波に立ち向かう、五十嵐カノアに、オーラがない訳がない。
そして、五十嵐カノアのハートは、とてつもなく、暖かい。
2021年東京五輪オリンピックで、見事、銀メダルを獲得した、五十嵐カノア。
テレビの取材にも、実に、柔軟な姿勢を、要所、要所に見せた。
オリンピック 銀メダルは、小さな子供たちにも、大きな反響を与えた。
子供たちは、みな、口を揃えて、「五十嵐カノアみたいなサーファーになりたい」と言った。
これを、 聞いたカノアは、「感無量」とだけ、答えた。
この上なく、嬉しかったのだろう。
また、カノアの銀メダルの獲得への、ブラジル人の誹謗中傷には、 ポルトガル語で、「私は、常に他の選手に最大限の敬意を払っていますが、自分が、コントロールできないことについて、悪口を言いたがる人には我慢できません。私は最善を尽くしました、それだけです」と反撃してみせた。
弱い者には、常に優しく、悪しき者には、いかなる者でも、頑として、引かない。
五十嵐カノアは、そういう男だ。
今のところ、日本で、2番目にカッコいいのは、五十嵐カノアだ。