人の人生は、10人10色、人生100年時代の錯覚
テレビでは、しきりに、人生100年時代と言うフレーズが飛び交っている。
それが、平均的だとしても、現在、筆者は、54歳、既に、人生の半分を通過している。
これくらいの年齢になると、残りの人生の方が少ないことを実感する。
テレビで、芸能人や著名人の訃報を聞く度、嗚呼、その時が、次第に近づいてきているんだなー、とも感じる。
振り返ってみると、これまでの人生は、豊かだったのか、充実していたのか、悔いはないのか、ある、年代になったら、みなさんも、1度、自分を振り返ってみるといいだろう。
何か、刺激的な出来事がないと、なかなか、人は、「人生」なんて、大きなテーマを考えるようと想わない。
それは、何か、自分には、直接、関係のない、他人事のような、錯覚に陥るからだ。
筆者も、40歳くらいまでは、「人生なんて、そんな大袈裟な・・・」くらいにしか想っていなかった。
しかし、冷静に考えると、人生は、無限ではないと言いながら、 特に、元気な時は、それを、忘れてしまいがちで、人生100年時代だから・・・と、都合のいい方に、自身を持って行ってはいないだろうか。
これまでの人生を振り返ってみよう
これまでの、人生を振り返ってみると、色んなことがあった。
恐らく、みなさんも、そうだろう。
色々、あるのが人生だ、平穏な人生など、まずないだろう。
筆者には、今でも、世の中的に、ダメな奴と評価される、ギャンブルに溺れている。
ギャンブルの市民権も、当初と比べると、一般的になり、一部では、投資の一種だと、分類されるようにまで、変化してきたが、それでも、 ギャンブルと言うワードは、 ネガティブに取られることは、今も変わりない。
しかし、ギャンブルに溺れる人は、少なくない。
程度の問題もあるが、中毒性があって、ドラッグの次に、タチの悪い部類だろう。
学生時代は、勉強はできなかったが、野球をやっていて、なかなかのポジションで、評価もされた。
中学生で、 芽が出たこともあり、 教師からは、所謂、甲子園を目指せる高校への、進学を勧められた。
それくらい、調子が良かった。
ギャンブルにハマってしまう人は、筆者のような、少し、何かに長けている者が、どっぷり陥るケースが少なくない。
事実、プロ野球選手の、ドラッグ、ギャンブル、賭博問題は、 珍しくない。
自分は、ちょっとみんなとは違うから、ギャンブルも、うまくいくはずだと、錯覚するのだろうか。
それとも、長けている分、快感を感じる事が、多いから、その、更なる快感を求めているのかも知れない。
まあ、実態は、 分からないが、世間的に、褒められるような事では、ないのだろう。
では、ギャンブルは、完全悪なのか。
そうではないだろう、人間なんだから、狂うことがあってもいい。
その方が、人間らしい、とは筆者は想う。
偉大な芸術家も、音楽家も、作家だって、著名人は、それに狂ったおかげで、一流になっているし、その果てに、ドラッグにハマって命を落とす例は、少なくない。
しかし、悔しい想いばかりしてきたけど、ギャンブル人生が本当に失敗だったかどうかは、人生が終わりを告げるまで、分からない。
筆者の場合、ギャンブル依存、これを、未だ、断ち切る事ができない。
これまでの人生は上々なのか
人生、色々、男も色々、女だって色々って、咲き誇れるの、島倉千代子さんの唄だ。
筆者の50年は、上々だったのか。
人生は、かくあるべきだ、と言う定義はないから、人それぞれだけど。
と言ってしまえば、筆者も楽になる。
普通なら、大学を出て、就職して、結婚して、 家族を持って、子供ができて、家を建てて、それなりの生活ができて、そのうち子供も巣立ち、また、夫婦2人の生活を、静かに穏やかに暮らす。
多分、こういうのが、苦楽はあったけど、一般的な、人生か。
こういうのかな。
もし、これが、平穏な人生の1例だとしたら、筆者の人生は、 真反対。
大学を出て、親のコネで、そこそこの会社に就職して、平均以上の給料をもらいながら、結婚して、子供が出来て、 家を買ったまでは、筋書き通りだったが、結婚18年にして、ギャンブル癖が、再燃、止まらなくなって、 家族は、崩壊、全てを失って、現在は、体調を壊し、会社にも行っていない。
何1つ、資産もないし、 金もない。
あんた、最悪。
そう、なるだろう。
人生を振り返ると、こうなる。
しかし、「どんな人生だろうと悔やむことはない〜born this way〜」と、(桑田佳祐さんは AAA替え歌で熱唱している)
まあ、でも、そんな中でも、子供を大学を卒業するまで、何とか、面倒を見れた。
これは、せめてもの、 最低限の役割だと想い、遂げてきた。
それで、いいじゃないか。
あとは、好きにしよう。
筆者の人生50年の偏差値を割り出すと、中央値以下だろう。
しかし、これが、筆者の50年だ。
受け止めるしかないし、振り返ると、家族に対して、最低の想いをさせ、最低の人生を辿ってしまった、 これは、汚点だ。
ただし、 それでも、明日は、来る。
課題は、 ここにある。
これからの人生をどう生きるかはかなり大切
どんなに最悪な人間でも、好色で、 金遣いが荒くて、いい加減でも、死なない限り、 明日が来る、順調なら、明後日も来るし、1週間、1ヶ月、1年、ひょっとしたら、10年、20年もあるかも知れない。
だから、過去は過去として、明日をどう生きるか、未来をどう生きるか、計画を立てなければいけない。
これまでが、残念な人生なら、極端な言い方をすれば、生まれ変わるくらいの想いで、遮二無二生きる。
過去と同じ事を繰り返すなら、筆者は、死ぬまでギャンブルで負け続け、やがて、無一文になり、消えてなくなるだろう。
失敗する事はあるが、やはり、これはダメだと想う事を、 繰り返してはいけない。
これは、精神衛生上も、極めて不健康だ。
しかし、ギャンブルに犯された脳は、何度も同じ事を繰り返し、違う選択をする事ができない。
これが、恐ろしい。
ドラッグの場合は、ほぼ、100%、再発すると言われている。
ギャンブルもそれに近いが、同じ悩みを、抱えている人がいれば、このように、自分を変えてみてはどうか。
野菜の大根に例えるとこうだ。
1度、たくあんになった大根は、どんなことをしても、元の大根に戻す事ができない。
しかし、まだ、たくあんになりきっていらなかったら、リセットは可能だ。
だから、強い意志を持って、無理矢理変えていけば、リセットできる、そう、信じて。
7桁だろうが、8桁だろうが、9桁だろうが、負けた金の事は、一旦忘れるのだ。
そして、働く。
そして、お金を使わない。
一旦、お金は、貯めるしかない。
お金が、貯まる感触をまずは、取り戻そう。
それは、ギャンブルで稼いだお金ではダメで、働いて稼いだお金、お金の価値観を、元通りに戻す事が大切だ。
とにかく、遮二無二 働く、50歳だろうが、60歳だろうが。
遮二無二だ。
その期間は、一切のギャンブルは、やらない。
これを、実践すれば、お金は、貯まるはずだ。
過去のギャンブルの負けが、いくらだろうと、一旦、 忘れて、とにかく、働いて貯める。
7桁、5, 000,000円以上が貯まれば、お金を貯める癖が復活してくる。
何年かかるか分からないが、このくらい貯めないと、ギャンブルをやっても、勝てない。
もう、痛いほど、経験済みだろう、資金が少なくなるほど、どんどん負けていくことは。
人生、生まれ変わって穏やかに暮らす幸せ
繰り返すが、人生には、限りがある。
人、それぞれだ。
50歳を越えたら、いつ、何があっても、驚けない。
ギャンブル漬けの人生で、終わってもいいのか。
まずは、働いて、お金を貯めよう。
貯めて行く内に、ギャンブルなんて、アホらしいと想うようになるかも知れない。
お金が貯まり始めたら、他に、やりたい事が、見つかるかも知れない。
毎日が、意味を持たない又は、悔しい想いをしながら、過ぎていく、日々に、何の価値があるのか。
年齢を重ねるほど、その、危機感は膨らむ。
残り時間が、若者より、少ないからだ。
そう、想っているなら、すぐに実践しよう。
毎日の生活を変えていけば、充実感や満足度は、 増す。
例えば、 好きな食べ物を1週間に1回食べる。
1ヶ月だと、4回、 大好物が、 食べれる。
10,000円もあれば、叶うだろう。
これだけでも、満足感は、かなり、高まる。
そうなれば、「正」のスパイラルに入る。
正の、スパイラルに入ると、益々、好循環は回っていく。
今回は、 ギャンブルで悩む人への、気持ちの切り替え方に特化したが、お金の悩みだけが、苦しみではない。
50歳を越えれば、他の悩みもたくさん出てくる。
健康の事、会社の事、親の事、何か満たされない欲求、煩悩は、除夜の鐘ほどあると言われている。
それくらい、人は、誘惑されやすく、道を外しやすい。
だから、全国に、お寺や神社があるのだ。
そもそも、人は、弱いから、煩悩に振り回されがちなのは、何も、あなただけではない。
筆者も、そうだし、他の人も、いつだって、煩悩に持っていかれそうになるし、だから、人は、お寺や、神社に、お参りに行くのだ。
過ちを、悔い改め、新たな気持ちで、明日からまた、やり直すために、お参りに行くのだ。
弱い事を、悔やむ事はない、本当に芯から強い人なんて、殆どいない、明日から、生まれ変わる、そういう気持ちが、何より大切だ。
どんなに、深い傷を負ったとしても、人が負った傷が、治らない事などないのだから。
今、色んな悩みを抱えて、行き詰まっている人は、どうすれば、生まれ変われるか、真剣に考え、1日も早く、実践する事だ。
人は、その気になれば、いつからでも、必ず、やり直せるし 、生まれ変われる。
信じる者は、 救われると言うが、本当の話だ、 それを信じて実践した人は、新しい、人生が、向こうからやってくる。
これまでの、死ぬほど悔しい想いを晴らすのは、それからでも、決して遅くないじゃないか。
逆転人生は、必ず、誰にも、訪れるはずだ。
それが、あると信じている限り、神様は、見捨てたりはしないはずだ。
神様や仏様は、悔い改める者には、 やり直す機会を与えてくださるのだから。