新しい人生始めよう

新しい人生始めます

カンニングの竹山さんが出演する、新しい人生始めますというテレビ東京でやっているテレビがとても気になります。

毎週欠かさず見るようになりました。

新しい人生始めますを見ていると何だか勇気が湧きます。


それは、私もやはりこれからの人生どうやって生きて行こうかということをそろそろ考えるようになってきたからだと思います。

現在51歳ですが、一般的に会社勤めであれば60歳が定年なので、あと9年会社勤めをするということになりますが、これぐらいの歳になると人生100年時代とは言え、すでに折り返し地点を通過していることになります。

季節を生涯に例えるなら「秋」です。

私は大学を卒業して、新卒である会社に入社しましたが、現在、その同じ会社で28年間、勤め続けています。

さて、これから9年間会社を続けて定年退職をま待って、65歳から年金をもらいながらごくごく一般的な余生を過ごすのか、または違った道を歩むのか、最近、夜寝る前にそんなことを考えるようになってきました。

まあ私は会社勤めをしたくて会社員になったわけではないんですが、いや、それはもしかして、ほとんどの方はそうなのかも知れません。

若い時は、本当にこのままでいいんだろうかというふうにもがき苦しんだ時代もありました。

転職を考えたこともあります。

会社を辞めて自営業を始めようと思ったこともあります。

でも、踏ん切りがつきませんでした。

具体的なプランがなかったんですね。

そして、私のこの半生、いいことばかりではなかった私だから、ますますこの頃、このままいくのかどうかを考え始めたのです。

30歳で結婚しましたが、50歳で離婚しました。

理由は、私の不徳が原因なので仕方ないのですが。

こういうこともあったりで、最近、真剣に、これからどうするか?

を考えるようになってきました。

そんなことを思いながら、テレビを見ていると、新しい人生始めますという番組をやっていたのです。

ここで紹介されるのは、ほとんどが会社勤めをされていた方がある出来事をきっかけに新しい人生を始めるということを紹介するテレビ番組でした。

私が見る限り、自分で決めて新しい人生を始めた人達は、例外なく後悔をしている様子は全く見受けられないのです。

私も、本来ならば会社員ではなくて、もう少し自分の個性を活かせるような仕事ができたらなと小さい頃から思っていたのですが、なかなか自分の個性というものを仕事と結びつけるというのは容易ではないし、今でもこの仕事がそうだと言えるものはありません。

これも恐らく、おおよその人はそのような人生を過ごされてるのではないでしょうか?

しかし、この新しい人生始めますは、本当に新しい人生を始める始めた人たちのドキュメンタリー番組ですので、真実味があり時には厳しいコメントもありますが、でも、その先には自分の夢だったことを実現できるという喜びがこの番組を見ているととても実感できるんです。

ポジティブな気持ちを与えてくれる番組だと思います。

私のこれまでの人生

私は、現在51歳、1968年生まれです。

学生時代は小学校からソフトボールを始めて、中学高校と野球をやっていました。

勉強はできませんでしたが、スポーツは得意でした。

高校野球では県大会のベスト8まで進出することができたと言う、振り返ってもとても嬉しい思いでもあります。

そして、高校卒業して大学に進学し新卒で会社勤めを始めました。

30歳で結婚し、子供が一人いますが、私の不徳の致すところが原因で、妻とは離婚。

息子は、現在大学に進学しています。

この51年間の人生を振り返ってみると、いいことも楽しいこともたくさんありました。

家族との思い出もたくさんあります。

ただ残念ながら、離婚をしてしまったので、家族には大変申し訳なく思っているし、しかし妻と離婚はしたものの、私の子供である一人息子はこれからも一生、私の息子です。

ということを考えた時、このまま会社勤めをするのかそれとも自分の思う道を進むのかそういうことを考え始めてきたのです。

私は小さい頃から喫茶店をやりたいと思っていました。

それは、今でも変わらぬ夢で、さて、これには何をすればいいのか?

人生では、一般的に言う挫折をしてしまい家族に悲しい思いをさせてしまったけど、それを振り返ってばかりいても仕方がないので、せめて今思うのは、自分の息子が帰ってくる場所はちゃんと作ってやらないといけないと思っています。

息子は大学を卒業すると恐らく、何かの職に就くでしょうし、やがて結婚するかもしれません。

私は、離婚はしたけど、父親であることには間違いないので、息子の帰ってくる場所が惨めなものであることは、私が惨めなだけではなく自分の一人息子にも辛い思いをさせてしまうのではないかと最近よく思うようになりました。

そんな思いで何気にテレビを見ていたら、新しい人生始めますという番組に出くわしたのです。

面白いもので、そういうことを考えているとそういう機会が自然とやってくるのです。

これはよく言われることですが、そこに意識が働くとそれを潜在意識の中で探すようになるからということで、考えてみるとすごく自然な事なのですが、そういうことを考え始めたときこの新しい人生始めますという番組に出くわしました。

これは何かヒントになるかも知れない、そう思いました。

いえ、会社勤めが惨めな訳ではないんです、ただ、会社勤めだと、何か冒険をするわけでもなく、1人寂しく賃貸マンションで、どこまでも淡々と暮らす日々の連続がある程度、見えてきます。

それなら、少し郊外でも、自分のアトリエがあって、人が泊まれるくらいの少しゆったりとした空間で、細々ながらも、自分の好きなことで生活できる空間の方が、快適なのだろうと思うんです。

これは、価値観の違いなので、一概には言えませんが、私が快適だと感じるなら、きっと息子も同じように思ってくれるのではなあいかと思っているんです。

社会はこれからもますます多様化

世の中は、大きく変わってきました。

バブルはもう弾けないと言っていいでしょう。

そして、人の生き方も多様化してきたし、情報量と言えば、今は、一瞬にして大量の情報を得ることができます。

そして、社会はますます複雑になり、多様化しています。

働き方も変わってきます。

働き方改革と言っていますが、働き方改革がもたらすものは、私たちのいろんな生き方を示唆してくれるものであってほしいものです。

ただ、時間外労働が減り給料も減っただけで終わってほしくないものです。

さて、私はこのまま会社勤めを続けて、60歳を迎えるか、それとも早期退職をして自分の新しい人生を歩むか迷っています。

でも、どちらかと言うと今の自分は自分の子供が就職をしたら、私の一旦の子供に対する責任は全うしたのかなと思うようにしています。

その時、さて、自分の夢を歩み続けることができるかどうかを真剣に悩み始めています。

私の小さい頃からの夢は喫茶店をやることですが、それは今も変わることなく喫茶店という雰囲気が何とも好きで落ち着くのです。

そんな場所で働きながら、生活ができるレベルが維持できるのか、やはり不安はあります。

そんなことを思いながら、この新しい人生始めますというテレビ番組でいろいろ見ていると色々事前にやっておかないといけないことがあるように思えてなりません。

確かに、会社を退職してすぐに新しい生活がスタートできるはずがないのです。

その辺りは、冷静に考えなくてはいけないと思っていますが、前述しましたが、社会は非常に多様化しています。

私たちが会社勤めを始めた1990年代はバブルの時代でもあり、大手の一流企業に入れば定年まで安泰という時代でしたが、今はそうではありません。

どんな大きな会社だろうと間違えば、明日がわからないと言っても過言ではない世の中になっています。

そんな混沌とする世の中で、果たして会社にしがみついて働くことが本当に自分にとっても幸せなことなのかということを真剣に考えてみようと思います。

今の私は、どちらかと言うと、何時から何をする、それはどこでするというようなことを少しずつ考えるようになってきていて、それを同じように考える皆さんにも共有することができれば、何かの参考になるかと思い、このような記事をを残していきます。

私も手探りです

私も手探りの状態ですが、1つ参考になるなと思ったのは、カンニング竹山さんが出演する、新しい人生始めますに出演している実際に新しい人生を始めた人たちの生活であり、その番組の中でメッセージとして発せられる言葉一つ一つです。

それを参考にしながら、これから数年後の人生を本当にどうするかということを設計して考えていこうと思います。

私は、どちらかと言うとかっこいいおじさんにはなれないタイプですが、かっこいいおじさんがやっているようなことをしたいタイプです。

50歳を超えて、55歳、60歳、70歳になっても若々しさだけはなくさずに生きていきたいと思っています。

人生が本当に100年時代と言うならば、もしかしたら100歳近くまで生きる可能性もゼロではないのです。

そして、人生を謳歌すできるのは年をとったから出来ないということはなく、それをやりたいと思ったらいつまででも輝き続けていられるのではないかと思うのが私の持論です。

それが、若くはなくても若々しさを与えてくれるものと信じます。

何かをするのに、遅すぎるということは何もないということをよく聞きます。

それは、ただ、たまたま早いか遅いかだけで、実際に実行することが大切なことで、何歳が適しているということはないのだと思っています。

それはなぜかと言うと、実際にこの新しい人生を始めますを見ていると、実際に新しい生活を始めた人たちの顔は、皆一様に明るく楽しそうなのです。

後悔しています、新しい人生を初めて、と言う人は一人もいません。

それはそうかもしれませんね。

そんな人も中にはいるのかもしれませんが、そんな人を番組に出してしまうと番組が成り立ちませんよね(笑)

50歳を過ぎると、この先おおよそどのような生活ができるだろうという予測が出来ます。

会社勤めをしているのであれば、これから働いて貯蓄できる金額、退職した時にもらえる金額など一応にある程度の計算はできます。

会社員の場合は、ある程度、その計算ができるというのが、もしかしたらメリットになるかもしれません。

自分で、会社をされていたり、経営されている自営業の方は右肩上かもしれないし、平坦かもしれないし、もしかしたら右肩下がりなのかもしれません。

そういう意味では、どちらかと言うと近い将来の設計をしやすいのは、会社勤めをしている私達のようなものなのかもしれません。

その会社勤めをしてきた、本当は会社が好きでサラリーマンが好きで、会社に勤めているわけではないけど、なんとかかんとか約30年間の間、会社勤めをしてきた少しのほんの少しの報奨のようなものなのかもしれません。

ある程度、この数年間、10年間の生計がどのようなものになるかというイメージは組み立てることができますよ。

まず、そこから計算していくことが大切なのかなと私は考えています。

実際に、私のこれからの人生を真剣に考えるにあたり、現在進行形でこのように私の思いや考え、それからテレビやインターネットなどで収集できる情報を参考にして、この数年間をどう過ごし、何歳から何を始めるかということを計画的に進めていくことは、近い私の将来と言うか、余生に多いに影響を与えるような気がしてなりません。

人生は、一度きり、も実感する年代だからこそ、考え方次第で、思い通りの人生は、自分の思った通りになるような気がしてきました。

そうすることで人生を、前向きにしたいと自分で思っています。

またそうしないと、残念ながら私は、離婚をしてしまったので、ネガティブな方向に行ってしまうことが大いにに考えられます。

右肩下がり、でも、そうなると、自分の子供に対しても、一生申し訳ない思いで人生を終えなければいけない。

それだけはしたくないのです。

補足しておきますと、このまま会社人生を続けることが、子供に対して申し訳ないことではないのですが、小さな賃貸マンションで一生を過ごすのか、それとも古くても小さくてもいいから自分のアトリエがあって、子供が泊まりに来るくらいのスペースがある古民家のようなそういうところで仕事をしながら、生活ができる。

そういう意味で子供に辛い思いはさせてはいけないと思っています。

子供は離婚しようが何をしようが自分の子供なのです。

せめて、その子供がいつでも帰ってこれる心地いい場所を自分は作らないといけないと思います。

いくつになっても、子供のことが嫌いな親などいないのです。

新しい人生を後押ししたもの

私は、現在51歳であーそろそろ新しい人生を歩むのか、このまま会社勤めで退職するまで勤めるのかを真剣に考えるようになった理由はもう一つあります。

残念ながら私の不徳の致すところで離婚したこともその理由の一つですが、私の両親は父が64歳で他界しました。

64歳と言えば、父も会社員だったので、60歳まで好きではなかったと思うんですがなんとか会社勤めをして、さあこれから悠々自適な生活だという時に体調崩してしまい、会社を退職してわずか4年でこの世を去りました。

そして母はと言えば、私が高2の時、当時43歳の若さで脳卒中で倒れ半身不随と言語障害が残った不自由な生活を30年経った今でも続けています。

人は健康でいるのが一番だけどということを身近で感じた私なので、何はなくともとにかく元気でいることが、人は一番大切なのだと思っています。

残念ながら、私の両親はどちらも順風満帆な老後を過ごす余生を過ごすことを実現できなかったのです。

父も母もということを振り返って考えていると、一番つらかったのは本人達だと思いますが、私もそれを見て我慢をして我慢をして、何があっても我慢をしてそして、余生を楽しく過ごせるのか過ごせないのかという生活をするのならば、ある程度少し未来の計画ができる状態なのであれば、自分が思うような人生を自分が与えられた時間まで過ごすことができるれば親の分まで充実した人生が過ごせるのではないのかと思うようになりました。

もう少し両親のこと

もう少し両親の事を書こうと思います。

私の父は会社員で、私が現在51歳ですので父は昭和一桁の生まれです。

そして、父が成人した頃の職業のと言えば、やはり公務員が圧倒的な人気だったのですが、その当時公務員にも匹敵するほど花形であった職業があります。

デパートです。

今は衰退期になりつつある百貨店業界ですが、その当初は花形で、父は地元の百貨店で働いていました。

デパート勤めですので、土日は当然ながら仕事です。

私は父との思い出があまり多くありません。

当然ながら、土日が仕事なので土日に一緒にどこかに行くとかということがあまりありませんでした。

それでも父は私が野球をやっていることを誇らしく思っていたようで、仕事中によく時間を作って野球の試合を見に来てくれていました。

その父も、60歳で退職してわずか4年で、その当初は、75歳が男性の平均寿命と言われた時代に64歳でなくなりました。

体調の不良が分かって半年も経たないうちに命を落としてしまったのです。

もっと他の方法があったのあったのではないかと思うのですが、私がその当初大学時代に聞いた電話でちょっと検査入院に行ってくると言った時にはもう体に体を癌が蝕んでいてステージ4の状態でした。

それから1ヶ月もしないうちに亡くなってしまいました。

無情だったと思います。

自分がこれから何年、生きられるのか生きられないのかも、当初は癌の告知をするかどうかということは悩ましい問題であったため、当初の放射線治療を行うことで数年は生きることができるだろうという予測だったこともあり、本人には何も伝えずじまいで、生きるか死ぬかも分からないまま亡くなりました。

そして母のことですが、私が高2の時、私には兄がいますが、当初、東京の大学に通っていた兄の所に行くために3段重ねのお重箱にありったけの食べ物を詰めて東京に向かって行く途中の広島駅のホームで倒れたのです。

脳卒中でした。

その当初、43歳で脳卒中にかかるという人は確率的に低かったと思います。

今でこそ年齢に関係なく重い病気にかかることはありますが、43歳で脳卒中にかかり半身不随になった母は、今も生活はできているものの介護が必要な状態であり、30年以上も半身不随で喋ることもままならず、そんな人生を歩んでいます。

それは、子供を育てるために必要な事だったといえばそれまでかもしれませんが、だから自分の人生を台無しにしてもいいんだということではないのだと思います。

父も母も、家族のために献身的に、私たちを育ててくれました。

やはり、子供を育てた後はそれなりの生活をゆったりとゆっくりと楽しんでほしかったとつくづく思います。

だからと言って、本人の気持ちが分かるわけではないのですが、愚痴を言うこともなく淡々と毎日を生きています。

そんな母を思う時、そんなに無理をしなくてもよかったのではないかと思うのですが、無理がたたって倒れたことにおそらく間違いはないのでしょう。

将来のことを考えることもなく、ただただ子供のことを思って育ててくれたことを大変感謝していますし、願わくは少しでもゆっくりとゆったりと生活をして欲しかったと思います。

だからというわけではありませんが、全てを犠牲にして健康を害してまでも無理をして会社勤めをすることにあまり意義を感じなくなったというのは、そういう両親の生き様を見ても改めて考えさせられるものです。

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