笑点 新メンバーに春風亭一之輔起用の狙いは
笑点と言えば、長寿テレビ番組の1つ。
既に、半世紀、50周年を迎えた日本でも
、伝説級の日本テレビ系列の長寿番組だ。
そう言えば、笑福亭鶴瓶も、落語家だ。
ベテランの勇退などで、リーダーは、春風亭昇太に、桂宮治の異例の抜擢に、今回の、春風亭一之輔の起用と、落語番組が、若年化を目指そうとしているのが、手に取るように分かる。
しかも、一之輔は、ビジュアルも、 なかなかの、イケメンだ。
これは、世の中の傾向を落語界も、遅れを取らず、追随してきたと言うのが、実態と思われるが、落語界と言う、上下関係の厳格な世界では、そうそう、簡単な人事ではなかっただろう。
立川志らくも、数回、出演していたので、恐らく立川志らくも候補者に、 挙がっていた可能性もあるが、最終的には、春風亭一之輔の勝利となった。
春風亭繋がりで、昇太の存在も大きかったのだろうか。
しかし、 確たる落語家が、集結し、エンターテイメントする長寿番組、笑点、その笑点の番組の構成は、落語ではない。
落語家としての才覚は、殆ど表に出ないこの笑点の、 本来の狙いは何なんだろうか。
と、ふと、冷静になってみると、笑点と言う番組の不思議が 見えてくる。
確たる落語家の築きあげて磨かれてきた才能は、あまり、披露されない。
むしろ、いくら笑われるかに撤しているようにも見える。
落語は日本の格式ある芸能の1つ
落語家は、決して、簡単にできる稼業ではない。
むしろ、芸的には、崇拝する方の部類だ。
1人の落語家が、複数人の登場人物を演じ、言葉だけで、その、情景と起承転結を、視聴者に伝える。
加えて、落ちまで、しっかりと、視聴者に伝えなければならない。
落ちなければ、落語とは言わない。
筆者の中では、能や歌舞伎よりも、起用さと、人を飲み込むオーラがあって、雰囲気が創れる人格がなければ、視聴者を感動させることはできない職業だと思っている。
寄席を見に行く人は、その、生々しい、雰囲気を愉しみにしているはずだ。
こう、考えると、落語は、相当、奥が深く、高い技術がなければ、一流の落語家なんて、なれないのである。
落語とは、その人と成り、そのものだ。
雰囲気も、調子も、抑揚も、臨場感も、言葉にでてこない、心の内まで、喋る事や僅かな魔で、表現し、観客を喜ばせる。
だったら、演劇が上手い人がやれば、いいんじゃないか、そういう人もいるだろう。
いや、演劇の場合は、体の表現が加わるから、やはり、それとも異なる。
落語 THE MOVIEが語るもの
そう言えば、濱田岳が司会を務める、NHKの落語 THE MOVIEと言う番組を、ご存知だろうか。
これは、なかなか、面白いし、筆者は、見た瞬間にハマり、一気見してしまった。
かなり高い技術だが、落語家が喋り、その喋りに合わせて、俳優が、口パクで、そのストーリーを演じると言うもの。
つまり、落語の場合は、落語家が喋った内容を視聴者が、勝手に頭の中で、ストーリーをイメージするわけだが、この、落語 THE MOVIEは、俳優が、それを演じる、見る落語の仕立てになっている。
恐らく、喋る方は、自分のペースで喋ればいいが、演じる方は、喋るタイミングに合わせて、ジャストで、口パクしながら、演じなければいけないので、俳優に高いスキルがなければ、成り立たない。
しかし、ここでは、本当に、その落語家が、複数人いるように、喋れているかどうか、完全に、バレてしまうと言う、落語家にとっては、スリリングな、試みだ。
落語家の力量が試される。
しかし、見れば分かるが、やはり、一流の落語家の喋りは、誰1人として、違和感なく、流暢で、俳優達は、見事に気持ちよさそうに演じているのだ。
落語家って、スゴいぞ。
今、なぜ、落語 THE MOVIEなのか
面白い試みだと、落語 THE MOVIEを見ながら、感動していたが、ここには、落語と言う芸能の、衰退が見え隠れする。
落語をストレートに広めることはしないで、見る落語として、惹きつけようとしている。
特に、若い世代や、Z世代などは、落語と言っても、ピンとこない。
落語なんて、時々、日曜日の午後に、NHKで、一席、放送している程度だ。
落語の面白さや、凄さ、プロフェッショナルなところが、伝わる場面なないのだ。
その落語の何気なく聴いていたら、情景が浮かんでくるようなら、世代を問わず、落語は、愉しい、面白い、粋だ、となる筈。
しかし、日本に於いては、いかんせん落語の番組が少ないし、寄席なんて、落語を知らないのに、行く筈がないのである。
Z世代にしてみれば、着物を着たおじさんが、座って何か喋っている、そうとしか、映らないから、それ以上、踏み込まない。
踏み込めば、ハマるのに。
そこで、落語 THE MOVIEなのだ。
人気芸人や女優が、口パクで、何かを演じている。
それは、落語家が喋っているのか、これは、凄いじゃないか。
落語と言うと、おじいちゃん、おばあちゃんが、見るものと言う、風習を変えずにいた、落語界にも、責任の一端はあるが、もっと、今風に、落語をカスタマイズしなければ、落語でなくても、生き抜いていけないのだ。
だから、笑点は、一流の落語家達が、たわいのないスベリも混ぜながら、わざと、お茶の間を愉しませている。
笑点で、四角四面の、寄席をしたって、日曜日のゴールデンだから、くだらない小話の方が、見ていて、気が楽になるし、ほっとするのだ。
そうやって、Z世代とのコミュニケーションを取らないと、衰退してしまうから、高齢者よりも、春風亭昇太が主将だったり、一之輔や宮治が、抜擢されている。
と、筆者は、常々、思っている。
ちょうど、世の中が、変化し続けなければ、これからは、生き抜けないのと、同じように、どんな分野の、生業も、変化が必要な時代へと、既に、突入している。
だから、見ている視聴者も、 明日は我が身だと、次のステージに向かって、前に進んで行こうじゃないか。
前に、進みさえすれば、 未来は、開けるのだから。
(参考)
【柳家喬太郎】死神
うますぎる。